三ツ松新'sブログ

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我思う、故に我あり

とは科学と哲学がまだたもとを分かつ前の偉人デカルトの言葉だ。400年近く前の彼は数学者で自然哲学者。今でも博士号を文理系関係なくPhD(Docter of Philosphy)と呼ぶのはその名残やね。

ただ最近のようにこのあたりが別れる弊害もある。
「宗教と芸術と科学は同じ木の枝である」とアンシュタインは言って久しいが昨今のソーカル事件に代表されるよう様な似非自然科学哲学者はそれこそ早く「自然淘汰」されてほしいと思うのはおれだけか?
もちろん倫理や世界観を持たない科学者も同じぐらい危険だが。

科学は、少し乱暴ではあるけど、現象を理解する基礎科学とそれをどのように有効利用していくかという応用科学の二つにわけれる。例えば卵の形がなぜ強いのか解明ができれば、頑丈な構造物に応用できる。そして基礎的な科学では現象が先にあり、その理解は後から起きる。

そうそう、経営学の研究結果を見てそんなん当たり前じゃんとかいう人おるよね。例えば動機理論なんかで人は叱られ続けるとやる気を無くす的な論文の結論を見るとそう思いたい気持ちも分からなくもない。
だが何が本当で何が当たり前か解明するのは難しい。民間療法のように長いこと残っている宗教や哲学は科学的にも正しいことは多いとは思うがすべてそうとは限らない。
だからこの作業を無駄と言ってプラグマティックな自分にひたってはいかんやろう。現象解明はそんなもんなんであせったらいかん。

これまで心と科学の枝のに関する理解は遠のくばかりに見えていたが、最近の遺伝学、神経科学や脳科学の領域の発達は本当にすごく、少しづつまた近づくのじゃないかという明るい兆しも見える。

ぼくが学生時代遺伝子の配列決定はほぼ手動だったが今は機械化、自動化のおかげでものすごい勢いでヒトゲノムの解読も終わった。その配列の意味の解明にはまだまだ時間がかかると思うが、今度は脳内の神経接続地図の解明もすすんでいる。以下の写真のように脳の一部を何枚にもスライスにして神経のある部分を重ねていくとつながりが見える。

neuron1.JPG

もっともDNAの塩基対が30億ぐらいに対して脳の神経細胞は1000億個、そしてその間の接続は何千億や何兆というレベルになるので地図をつくるだけでも気の遠くなるような話。また先天的なDNAとは違い「我思う」ことにより接続は変わり「我あり」になるわけだがそれが地図をつくるのをさらに難しくする。
しかし解明ができれば神経と心の理解はすすみ自然哲学にも大いに貢献するだろう。

参考URL
http://www.ted.com/talks/sebastian_seung.html

投稿者: 三ツ松新 | 日時: 2010年09月29日 17:15

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