三ツ松新'sブログ

イノベーションコンサルタントのデジタルクリップ

2012年09月05日

宗教と犯罪の相関関係と近況

すっかり廃墟のようなウエブサイトとブログになりつつあり、知人から時々大丈夫かと聞かれる。シンガポールに来て6か月近くになるが、日本と毎月2往復程度する生活をしていますがいたって元気です。こちらはどことなく日本のバブル期を彷彿とさせるところがあり、危なっかしさもありつつ刺激的でもあります。

ブログをほとんど更新しなくなってしまったのは病気でも、倒産でも、夜逃げしたわけでもありまえせんw。ビジネスと体は至って順調です。単純にフェースブックやツイッターがでてきたから。ブログの意義はまだまだあると思うが、やはり市場細分化とでもいうか、一部の機能はミニブログやミニミニブログと言われるソーシャルメディア系のとって変わられてる一面はありますね。

昨日フェースブックで宗教と犯罪に関するエコノミストの記事がおもしろかったのでコメント書きました。興味ある方は元記事は英語ですが一番下にリンク張ってあるのでおもしろいので是非。

ブログを書くことはめっきり減ると思うので私に興味のある変人wは以下からお願いします。
twitterのアカウントは以下の通り。

@ArataMitsumatsu

Facebookは以下の通りです。お会いしたことやネットで絡んだことない人のフィード購読も大歓迎です。

http://www.facebook.com/amitsumatsu

宗教と犯罪率に関するエントリーです
http://www.facebook.com/amitsumatsu/posts/427676903944784

あとそうそう写真も7,8年前のものなんでさすがに違ってきました。

投稿者: 三ツ松新 日時: 17:35 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年03月03日

グローバル化する日本語

最近はtwitterやFacebookがでてきてすっかりブログを書くことが少なくなった。ただブログがなくなるかと言えばやはり各々コミュニケーションの質と量に違いがありうまくすみわけしつつあるようだ。

言語その物にもそのような概念があるようで、中身がわからなくても速く聞こえる言語があるのはなぜだろう?という疑問からリヨン大学が言語の速度と密度について調査した。

扱った言語は中国語(マンダリン)、スペイン語、英語、日本語、ドイツ語、ベトナム語、フランス語、イタリア語の8か国語。これらの言葉を母語に持つ男女59人に同じ意味の文章を母語で読ませて一分あたりの音節の数をもとにスピードを計った。その結果最も早かったのは日本語(7.84;音節/秒)で一番遅かったのは中国語(5.18)。因みにスペイン語が7.82で英語が6.19。そもそも母音と子音でなりたつひらがなが最小単位の日本語は音節が多くなるのはわかる。

また速度以外に密度を測る方法として音節各々が持つ意味に重みづけをした。例えばBlissのような単音節の言葉の音節は重要度が高くJubileeの真ん中のiはあまり意味を持たないので低くした。この部分は機械的にやるのは難しいと思うので疑問の余地もあると思うが結果最も密度が高い言語はベトナム語だった。そしてそれを1.00とした場合最も低いのは日本語の0.49。他には中国語が0.94、英語が0.91、スペイン語が0.63。

ベトナム語が最も密度が高いというのはおもしろいと思うが、古代ベトナム語の表記があまりに複雑だったため、一般の民が使えるようにフランス人宣教師が17世紀に今のローマ字表記を作った。おそらくかなり効率的につくられたのだろうと思うがおかげで識字率は発展途上国では群を抜くので成功したといえるだろう。

さてこの内容はタイム誌の記事で紹介されていて、速度や密度に違いあれど結果同じようなアウトプットだというハッピーエンド的な結論だった。ただもう少し突っ込んで見たほうがおもしろそうなので単純に速度と密度を掛け合わせてみたがその結果が以下の通り。

英語 5.63
スペイン4.93
中国 4.87
日本語 3.84

英語が世界の公用語になりつつあるのは経済力だけではないかもね。そしてこう見るとわが日本語はなんとなく見劣りする。

いやいやそんな効率主義だけではだめだ!!日本語のもつ深さやわびさびが含まれてないじゃないか!!お前は何にもわかっちゃいない!!そもそも日本語というのはだな・・・・・・・
コクリ、コクリ←私w

という化石おじさんの声が聞こえてきそうだ。因みに私も誰が見てもおじさん世代に突入したので最近はおじさんの悪口がいいやすくなってきた。お前もだろうという突っ込みはとりあえず棚に上げておいてw。

ただオヤジのたわごとかと言えばそうでもなく確かに日本語の持つ深さのようなものは存在する。アメリカの文化人類学者のエドワード・ホールというおじさんがハイコンテクストとローコンテクストという概念を1970年代に提唱している。そしてグローバリゼーションがすすむ中その概念はますます重要になってきた。詳しく知りたい人はググれ、ただ一言でいえばハイコンテクストは阿吽の呼吸があるような言語だが曖昧。ローコンテクストはないがダイレクト。言うまでもなく日本語は前者に分類される。

そういえば私の古巣のP&Gでもグローバリゼーションはかなり早く進んでいて随分前からこの言葉は使われていた。そう言えば会議等でちょっと言い過ぎたかなと反省していた日本人に対して昔の上司が "Better to be rude than to be misunderstood" (理解されないよし失礼なほうがまし)と言っていた。まさにローコンテクストの考え方でこうでないとなかなかグローバルな環境での意思疎通は難しい。

社員同士の意思疎通だけでなく、消費者調査においてもこの概念はかなり重要だ。購買指数を測定する調査でもかなりの高得点をあげた南米でまったく売れなかったり、必要以上に低い評価が日本で出たりといろいろと失敗もある。正しい翻訳をしてもなかなか他言語での比較は非常に難しい。だから今でも幸福指数を比較するような国際調査を見るとかなり懐疑的。とう言うか信じてない(いっちゃったw)。

これまで2冊ほどの翻訳本の解説を書いたがどちらも自分で翻訳をしなかった理由はこのような経験と関係する。これまでの2冊はともに高遠女史が翻訳したが彼女は英語以前に日本語の言語能力が半端なく高い。こんな表現どうやって日本語に直すのだろうと私なんかが悩むところの手腕は見事だと思う。今年出版されるものが2冊ほどあるがそちらも解説のみの予定。

コンテクストにおいては有利な面があっても効率だけを見ればどうも見劣りする日本語。しかしグローバリゼーションのスピードについていくために日本語も確実に進化していると思う。ニュースの読み上げるスピード一つでもここ50年で30%近く速くなっている。因みに磯村さんと久米さんでは倍以上の開きがあったそうな。久米さんは早口で有名なので単純比較はできないが、少なくともあのテンポが受け入れられた。これまで話すスピードを上げてきたと推測できるが、主要言語ではもはや音節のスピードが最速なのでこれ以上速くできるかは不明。

そこでもうひとつ(化石おじさんが大っ嫌いっぽいw)昨今の若者言葉に見られる省略表現がある。パソコン、マクド(マック)など外来語なら昔からあったけど、最近は日本語その物も多い。例えば「あけましておめでとうございます」を「あけおめ」と言ったり、「誕生プレゼント」が「タンプレ」。AKB48なんかある意味究極で秋葉原=アキバと省略してかつアキバ=AKBと母音まで落とすことでパソコンのローマ字打ちなら三分の一になっている。さきほどの速度と密度を掛け合わせた数字、英語が5.63日本語が3.84だった。秋葉原だけを見るとアキバにすると6.91でいきなり世界一に躍り出る。そしてAKBという表記なら11.52ともはや上位圏外。

そもそも日本語というのはだなあ(www)漢字、ひらがなカタカナがあって極めて柔軟性、受容性の高い言葉だ。省略言葉をもっと進め、併用することでハイ・ロー両方の文化に対応できるポテンシャルを持ち合わせていると思う。Simple Japanese のような言語体系があってもいいだろう、というかすでに進みつつある。

そして我々は今税金で何をすべきかと言えば全力で翻訳こんにゃくをつくることだ。知識社会において言語はインフラなのでよくわからん橋つくってる場合ではない。日本語がローカルにある深さとグローバルにある幅両方に対応できる言葉になる可能性は十分にある。

最後にタイトルとは関係ないが、タイム誌の記事中の表現に and one not so common one: Vietnamese.(あまり一般的ではないがベトナム語)があった。そしてフランス語とイタリア語より話す人間の数は多いのになんでベトナム語は一般的じゃないのだ!というコメントがあった。かなり納得したので本文中の言語は参照記事とちがい話す人の数が多い順に並べてみた。グローバルコミュニケーションをさらに難しくする一因やな。

ほなまた

参考URL;
http://www.time.com/time/health/article/0,8599,2091477,00.html
http://www.nhk.or.jp/a-room/qa/index.html
http://www.tbs.co.jp/research/jochi/jochi_r12.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E8%80%85%E8%A8%80%E8%91%89
http://www.ethnologue.org/ethno_docs/distribution.asp?by=size

投稿者: 三ツ松新 日時: 15:11 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月30日

エイリアン・ハンド・シンドローム

自分の中でなんらかの葛藤を感じたことは誰しもあると思うが、エイリアン・ハンド・シンドロームは文字通り左右の手が違うことをしようとする現象だ。BBCのウエブサイトにあるこの動画は衝撃的だが患者は自らで自分を攻撃してしまうのだ。そのほかにも片方の手でボタンをしながらもう片方が外していたり、たばこをつける手と消してしまう手があったり。

本来は右脳と左脳の間に脳梁という部分があるが、かつててんかんなどの病気ではここを切断していた。これがなくなると左右の脳がうまくコミュニケーションをとれなくなり、葛藤どころか時として完全に左右が別のことをしてしまうのだ。

意思決定は元来全脳活動で左右の脳が(異なる見解を)キャッチボールしながら行っていくのだが、これは個人レベルだけでなく組織でも同じことだ。異なる右脳や左脳の人がお互いの価値観を認め合いつつキャッチボールできなければ多様性が失われ、脳梁のない変化に対応できない組織ができあがってしまう。

弱い個人や組織というのは元来ないと思うが、もしあるとすればキャッチボールができなくなった変化に適応できない組織だろう。

参考;
http://www.bbc.co.uk/news/uk-12225163

投稿者: 三ツ松新 日時: 15:21 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年09月30日

座学は有効か?教育にもイノベーション

どこの国の学校教育も多かれ少なかれ先生が前に立つ講義形式が一般的だろう。
しかしノーベル物理学賞受賞者でもあるブリティッシュコロンビア大学のカールワイマン博士らが教育方法について非常に興味深い報告をしている。

科目は物理学でコースは12週間。300人近い学生2グループの一方には通常の講義を、もう一方には通常の講義以外に小さいグループでのディスカッションや電子デバイスを使ったクイズなどを取り入れた。同じテストを受けたところ正答率が前者で41%後者はなんと72%とかなりの差。

この方法はもともとDeliberate practice(熟考的訓練とでも訳すかな)という手法で、以前から知られてはいたがここまで違いが出るデータはあまりないのではないだろうか。企業研修などは以前からこのような手法は取り入れられていて私自身も企業研修をするとき座学が半分を超えることは少ないが学校教育にも、もっと取り入れていくべき方法だろう。

参考;
http://bps-research-digest.blogspot.com/2011/06/is-it-time-to-rethink-way-university.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+BpsResearchDigest+%28BPS+Research+Digest%29&utm_content=Google+International

投稿者: 三ツ松新 日時: 23:18 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年08月31日

春巻きの皮とイノベーション

twitterやfacebookなどソーシャルネットワーク系のサービスがでてきてからブログをあまり書かなくなったという意見をちらほら聞くが、気付けば2ヶ月半も放置。しかしそうは言えどブログにもブログの住処は確実にあろう。

先日フォーブスにシンガポールの新顔億万長者に関する記事があった。62歳のSam Goi氏で冷凍食品の会社を経営していて、主力製品は春巻きの皮で世界一の生産量を誇る。

Goi氏は21歳で父親からお金を借りて修理工場を起業したがうまくいかずあえなく倒産。その後中国人ネットワークからさらにお金を借りて同じビジネスを再度挑戦して今度はうまくいった。

そしてそのころものすごい非効率的な春巻きの皮の生産を見て、機械化を試みた。その結果同じかそれ以上の品質の物を七分の一の値段で売ることが可能になりその後順調にシンガポーリアンドリームを実現・・・・・
とは残念ながらならなかった。

ここからがおもしろいのだが、実は売るのにすごく苦労した。味は負けていない、値段も1割ちょっと程度。何がだめだったのか?

なんと形。それまでの丸ではなく機会で作りやすい四角だったため、最初はかなり敬遠され売れなかった。そう、たったそれだけだ。人々はなんとなく四角いのがイヤなのだ。

しかし世の中の慣性というのはそれだけ強い。新しいことをやろうとすると必ず抵抗力はあり時としてはそれはそれは小さいものが極めて大きな抵抗力を示すことがある。

シュンペーターがかつてイノベーションを起こす人材の能力として
「洞察力、精神的な自由、抵抗に打ち勝つ強い意志」
の三つをあげた。三つ目をあげたのはさすがに栄光無き天才シュンペーター。

丸い抵抗に四角で打ち勝つ強い意志。一見馬鹿げているかもしれないが意外にも近い現実だろう。

参考URL:
http://www.forbes.com/global/2011/0808/singapore-billionaires-11-sami-goi-tee-yih-jia-food-ready-to-roll.html?partner=asia_newsletter

投稿者: 三ツ松新 日時: 17:43 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年06月17日

やっぱりブランド(アップル)は宗教

マーケティングでは通常のマーケットシェア以外にマインドシェアとハートシェアと言う言葉がある。

マーケットシェアはいわゆる売上やボリュームが何%という誰もが馴染みのあるもの。

マインドシェアは最初に頭に浮かぶブランドの比率。例えば日本でマヨネーズと言えばキューピーとか。

ちょっと余談だがサランラップなんかもそうでもはやラップの代名詞になっている。ある種、究極の状態でクレラップまでサランラップと呼ばれてしまったりする。これはシビックのことをカローラと呼んでしまうようなものだ。

ほかにアメリカでもセロファンテープをスコッチテープと言ったり、ジープなんかも登録商標だ。そう当たり前の人には当たり前だがバジェロはジープじゃないんです。
それと最近では検索することを「ググる」と言ってみたり。数え上げれば古今東西、例はたくさんでてくる。

もうひとつ慶応の池尾先生に教えていただいたおもしろい話があって、ちらし鮨の素と言えば永谷園の「すし太郎」を思い浮かべる人が多いと思うが実はマーケットシェアはミツカンの「五目ちらし」のほうが上。
なぜこうなったかと説明するのは難しいが商品が代名詞化するのはいいが最初から一般名詞を使うのは極端な話車を「車」という商品名にするようなものでポジションを築きにくいからだろう。

そしてハートシェアはここに好き嫌いの要素が入る。好きと思う人が多いブランドで目指すはここ。ハーレー・ダビットソンなんか典型で刺青まで入れてしまう人がいる。

ブランドは究極は宗教の信者を増やすようなものとは俗に言われている。感覚的にも信者でない人から見れば盲目的な部分もあり正しいようにも感じる。そしてそれも脳科学的に正しいと言えそうだ。

英国BBCのドキュメンタリー番組での内容だが日本版CNNにも取り上げられていた部分の以下引用。

同番組では神経学の専門家が磁気共鳴断層撮影(MRI)を使ってアップルのファンに同社の製品を見せ、脳内の反応を調べる実験を行った。その結果、脳の特定の部位が明るくなっていることが判明。これは、宗教信者に神の像を見せた時に明るくなるのと同じ部位だった。

しかしこれでアップルも安泰かといえばこれも難しい。アップルはまだ新興宗教で、その求心力はジョブズという教祖の力によるところが大きいと言うのは誰もが思うところだろう。因みに完全に余談だが最近、ブランディングはいろいろな業種で言われているが一度でいいのでりそな銀行のTシャツ(刺青とまで言わないが)を着てる人を見てみたい。

それはさておきジョブズの引退後は不安要素も多い。またえらく立派な新社屋を建てるというのも気になる。継続性や権威主義を否定する彼からすれば単なる象牙の塔を作るとは思わない。
しかし後継者はどうだろうか?そして高層ビルがたつとバブルは崩壊し、立派な本社を建てると会社がダメになると言う俗説も根強い。そうなっては欲しくないが、私自信もこの俗説は結構信じている。

参考URL
http://www.cnn.co.jp/fringe/30002809.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 14:20 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年04月28日

NHKでスタンフォード大学白熱教室

昨年3月に出版され、翻訳の推薦をして解説を書いた『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』がおかげ様で30万部近くまでいっています。そして5月1日に著者の講義がNHKの番組になります。ハーバード白熱教室が人気のようですがその第二弾という位置づけです。

時々ブログ等で二番煎じのような書き方をされている人もおられるようですが基本的に関係ありません。本を推薦したのは2009年4月で2年前の話です。日本での翻訳本もサンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』より2か月早くでています。確かに最近20歳だの30歳だの40歳だの5匹目ぐらいまでドジョウがいっぱいでてるのはそうですが。

まあそんな誰がどんだけ早かったかなんか本質ではなく、どうでもいい話ですが、内容もかなり違ったもので、「何が正しいのか?」という問いかけより「どう成長すべきか?」という命題に挑戦しています。

以前東洋経済が「哲学」というテーマでどちらの本も紹介されてましたが、おもしろい切り口です。ニーチェの本も紹介されていましたが、二番煎じというよりは今の日本で普遍的な知恵が求められているというのは背景にあるでしょう。

経営学で俗にS字曲線という成長カーブがありますが、日本の実質GDPをプロットすれば教科書通りの見事な曲線になり、ここ10年は停滞しています。このような時代はいつも混迷の時代と言われます。日本では大恐慌の手前やオイルショックの手前などもそのような時代だったのでしょう。それまでの価値観が通用せず新しい考え方が必要になりますが、同時に普遍的な価値観を崩さないように構築していかなければいけないという難しさがあります。

そのような時代に宗教や哲学に答えを求めるのは決して珍しいことではないと思います。哲学というとなんだか小難しいイメージがありますが、そもそも学問はすべて哲学です。いまでも諸外国では博士号がPhD(哲学のドクター)といわれる所以です。P&Gにいたころの同僚にPhDもいろいろといましたが「おれ哲学わかんねーけどPhDなんだよね」とよくわらかんアメリカンジョークを何度か聞いたことあります。
みなさん専門領域は活性剤や乳化や撹拌などで無理もない話ですが何千年もの時間を経て、哲学も随分と細分化してきたわけだ。

だけど今一度philosophy という言葉を考えてみれば語源は知を愛するという意味。日本でいえば愛知県(笑)。知を愛し、つきつめればこの時代ある程度専門化していくのは当然の成り行きでしょう。もちろん大局的のものが見れなくなる弊害を指摘する人はいて、確かにあると思います。しかし本当に突き抜けた人は中途半端な専門バカではなく専門領域を駆使しながら大局感を持っています。

ただ残念がら専門領域で万に一人の逸材として突き抜けた大局感を持てる人はそうそういません。またかなりの時間がかかり気付いた時には60歳ぐらいになってても不思議じゃありません。それはそれですばらしいことですが、我々は常に進化しています。知識社会においては昔は60歳になるまで分からなかったことが50歳、40歳いやそれこそ30歳でわかるようになることがあってしかるべきでしょう。もちろんそれがより高い個人の幸福レベルとよりよい社会につながるという前提があってだが。

そういう意味で普遍的に正義とは何か?新しい考え方としてどう成長すべきか?という問いかけはいくつになっても自問自答すべき問題であり若いころから始めれば始めるほどよいでしょう。そういう訓練を普段からしているからこそ公式のない問題に対応できる力がつく。そして今まさに時代は不確実性の中で普遍的な価値観を持って意思決定ができる人を求めている。

投稿者: 三ツ松新 日時: 11:22 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年03月16日

自分探しのボランティアは邪魔、力になりたければ寄付をしろ!

金がすべてじゃないという批判もネット上では見られますが、そんな当たり前のことを言っても何も始まりません。

友人の爲末大氏の始めたプロジェクトに乗っかり私も若干の寄付をさせていただきました。
以下のリンクから寄付ができますので少しでも何かしたいという感心のあるかたは是非。

http://justgiving.jp/c/2035
寄付先はcivicforceという団体になります。

被災していない人の中で、自分にも何かできないかと思われる方は多いと思います。
金がすべてじゃないのは当たり前ですが、逆に素人ができることと言えばはがゆいと思いますが、今は寄付ぐらいしかありません。

それに関連して、西宮市会議員で阪神淡路大震災で被災された今村氏のブログがかなり参考になります。

http://xdl.jp/diary/index.html#20110313
http://xdl.jp/diary/index.html#20110314

以下一部抜粋です。
~~~~~~
ひとつは観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
~~~~~~

私自身も当時は彼よりは軽いですが、被災しており、この感覚は痛いほどわかります。
もちろんみながそうではなく地震後何年もボランティアに従事された方には本当に頭の下がる思いです。
ただ地震直後に来て自分はいいことしたという思いで帰って行く人のことを考えると、今でも腹が立つ。本人は完全なる善意なので複雑な気持ちですが、未だに中途半端にきれいごとを言う人を見ると何とも言えない憤りを感じるのは、そのためでしょう。

私の被災レベルは、建物は一部倒壊、電気はあったが、ガスと水道は来てませんでした。そこに嫁と一週間ほどいて買い置きでしのいでいました。当然ながらホテルはどこもとれません、交通機関は何も動いていない。また友人、知人は当然ながら何人か命を落としており、それを聞くのはさほど近しい人でなくても数が多いだけに結構つらいものです。

ただこんなものは軽いものでまわりと比べれば文句を言えば罰があたるレベルです。そこでボランティアにもいきましたが、実際できることは対してありません。無力なものです。自分にできるのは粛々と日常をこなす努力ををすることだとそのとき思いました。

それが被災していない人であればなおさらです。最近不謹慎だとまったく関係のないイベントまで中止したりしています。もしそれで多少なりとも貢献しているつもりならまったくのお角違い。テレビが見れる人であればお笑い番組のひとつでも見たいものです。まだ時期尚早でしょうが、吉本興業、松竹芸能がお笑い芸人を避難所に派遣するボランティアもありだと思います。笑いの精神的な効用は医学的にも証明されています。

また連日連夜、世界中のメディアは日本の冷静で道徳的な対応を絶賛をしています。ただ長期戦になってきたときにこの状態を維持するにもある一定以上の物資が必要です。残念ながら気持ではありません。阪神淡路も地震当初はさほどモラルは乱れていません。

どんな形であれ少しでも気持があるのであれば、今は寄付をしましょう。

投稿者: 三ツ松新 日時: 15:47 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年03月09日

怒りが自分を論理的にする

タイトルは反直感的な感じだがUCLA Andersonでの研究結果でなかなか興味深い。

まずは97人に学生に怒りまたは悲しみを覚えたことを思い出させたり、書かせたりした。
その次にハンズフリー装置が携帯電話使用中の運転をより安全にするかということに関して賛成文と反対分を用意した。因みに97人の学生はあらかじめ賛成派を選んでいる。

その結果悲しみグループより怒りグループのほうがより多くの反対文を読んだ。また驚くことに怒りグループのほうがより自分の賛成意見を修正する傾向があった。

89人の社会人でオバマとマケインを題材に追試したところ同じ結果が得られた。

非常におもしろいが解釈を気をつけないといけない。怒りにより、反対意見を受け入れ自分の考えをオープンにしたわけだが、この実験では怒りの原因はあくまで間接的な物で直接的に怒りを感じると、なかなかこうはならない。

だから個人レベルであまり害のない小さな不満をある程度ためておくのは結構いいことなのかもしれない。
最も表だって言うと「ちっぽけな人間だなー」と言われるだろうからあくまで自分のための起爆剤として。

それでソクラテスの言葉を思い出したが、

「ぜひ、結婚しなさい。もし良き妻を娶れば、あなたは幸せになるだろう。もし悪しき妻を娶れば、あなたは哲学者になるだろう。」

ソクラテスはかなりの恐妻家だったそうですが世界一小さい不満をためていたのかも知れない(笑)

参考URL;
http://bps-research-digest.blogspot.com/2011/03/how-anger-can-make-us-more-rational.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+BpsResearchDigest+(BPS+Research+Digest)&utm_content=Google+International

投稿者: 三ツ松新 日時: 12:46 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年03月08日

「20歳」の電子書籍版

解説を書いた
20歳のとに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
がおかげさまで28万部も売れました、ありがとうございます。
電子書籍版もでることになりました。

参考ニュース
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1103/04/news093.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 14:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年02月24日

脳で運転できる車

脳とコンピューターのインターフェース技術については以前もいくつかエントリーを書いたが本当に日進月歩だな。パソコンや車いすの操作はすでにあるのでそのうち誰か作るだろうと思っていたが今度は車の運転も。

投稿者: 三ツ松新 日時: 12:40 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年01月26日

人間を人間と思わないことも時には必要

昨年産業再生機構で活躍された冨山和彦氏にファシリテーションを担当している研修に講演に来ていただいた。企業再生系の仕事というのはリストラなど人がいやがる意思決定がてんこ盛りで心臓に毛が生えていないとなかなかできない仕事だ。

会社がだめになるときというのは何がだめかというのは役員は10年以上前にわかっていたりするし、だめになったときには下手すればアルバイトでもわかってる。でも火中の栗はなかなか拾えるものではない。P&Gの元CEOのAGラフリーも、最も難しいのは誰もが分かっている簡単な意思決定をすることだと言っていた。既得権益を守ろうとする慣性というのは恐ろしく強い。

今の日本の社会保険制度なんかも破たんするのはみんな知っているのに誰もまともな意思決定をしないのと似ている。これを非難するのは簡単だが、非難している評論家は楽でいいねと思う。小さな企業ですら相当な修羅場になるのに国レベルとなれば・・・

そう言えば、数年前元神戸大学の経営学部長をされていた田村正紀先生が某大企業の社長に後継者の条件という質問をしたときにいくつかのよく言われる要件のあとに「マムシの子だな」という表現が出てきたと言う。

キリスト教で蛇は呪われた生き物だが、蛇はマムシのことをさすそうな。マムシというのは特異な繁殖行動で知られる。蛇にはそもそも卵生と卵胎生があるがマムシはその後者でそのうえ母親のおなかを食い破って出てくる。因みに交尾のときにオスは生殖器がなくなるので父親も母親も死んでしまう。文字通り命をかけた世代交代が起きる。

変化の激しい時代は社長ですらわかっていても目の前の問題はもはや解決できないこともあるわけだ。だからこそ若いうちは従順に見えるが、時期を見て創造的破壊ができるような人材が、すなわち「マムシの子」が必要になる。大組織で若くして破天荒なタイプは見た目はいいが、馴らされるか、潰されるか、やめさせられるかということが多い。

もちろん理想論を言えば新陳代謝がきっちり機能していれば「マムシの子」は必要ない。だが富山さんも言っていたが新陳ができても代謝は本当に難しい。産業再生も新陳はできても代謝はその組織の仕事だ。稲盛さんもJALの後継社長は外部から連れてくるわけにはいかず、内部でないとだめでこの育成が一番難しいと言っていたがさすがに百戦錬磨の名将。

産業再生は誤解を恐れずに言えばマムシの子のお産を手伝うような仕事だが、組織を再生しようと思えば、当然感情的な反論はいくらでもでてくる。そのような負の慣性どのように対処しているのかという質問に対して富山さんは「天使と悪魔」というおもしろいことばを使っていた。ようはいやならもっと悪い条件が待っているわけだ。

ここで社員の子供が受験だとか母が病気でとか、そういう情に流されないのはかなり難しい。
リーダーシップ論の本というのはどうもきれいごとが多いが、現場経験が少しでもある人であれば天使になるのはそんなに難しい話ではないことは良く知っているだろう。では悪魔になるにはどうすればいいのか?

オランダの大学での最新の研究だが人を人と思わない、物だと思う能力が必要だとのこと。これは例えば手術で足なり手を切断しなければいけない医者などもあてはまるが感情移入が過ぎれば精神的に持たないだろう。考えてみれば個人的にも学生時代解剖など相当気持ち悪かったが、場数を踏むと慣れてくる。その時は確かに動物というより検体になってたな。

果たして必要な時に悪魔になれるか?そしてその結果ダメージを受けた人にたいして天使になれるか。リーダーシップは本来非常にバランスの悪いものだ。

参考URL;
http://gpi.sagepub.com/content/early/2010/09/02/1368430210370042

投稿者: 三ツ松新 日時: 14:49 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月28日

意志の力は無限か有限か?

スタンフォードの研究で意志の力はコントロール可能だと思う人と有限だと思う人では前者のほうが集中力テストにおいて高得点をあげた。また後者の人はジャンクフードを24%多く食べるそうな。食欲は生理的欲求だからしょうがないとか言ってると一生ダイエットできそうにない(笑)
精神力や信念は科学的も合理的ってこっちゃね。

http://news.stanford.edu/news/2010/october/willpower-resource-study-101410.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 18:33 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月22日

ネット情報の8割は既存メディアである

この場合1次情報をさすが、アメリカのPew Research Center’sの調査がおもしろい。
数多くの示唆があり解釈はさまざまだろうが、、一番面白いと思ったのが以下。

Our ongoing analysis of more than a million blogs and social media sites finds that 80 percent of the links are to U.S. legacy media.
(何百万のブログやソーシャルメディアサイトを分析した結果、80%がレガシーメディア(既存の大手メディア)にリンクされている)。

ということらしい。井戸端会議をする場は必要だが、客観報道に関するニーズはなくならない。それどころか今まで以上に強固にものが必要になるやろうな。旧来勢力のメディアでも客観報道が崩れつつあるところもあるが初心にかえり客観報道を徹底的に追及するのもひとつの戦略だろう。

参考記事
http://www.cjr.org/the_news_frontier/state_of_the_media_by_the_numb.php

投稿者: 三ツ松新 日時: 13:40 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月16日

スタンフォード大学集中講義満員御礼!!

20歳のときに知っておきたかったこと、スタンフォード大学集中講義の著者が来日するエントリーを先日書きましたが、なんと三日目ですでにアカデミーヒルズの一般枠は満員になったそうです。
みなさんありがとうございます!!!!

投稿者: 三ツ松新 日時: 20:27 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月12日

世界初のアップルPC

1976年に200台が$666.66で発売された。なんだかこの価格がジョブズらしい。
そしてメモリはなんとたったの8K。34年でここまでくるとはすごいもんじゃ。
そしてこの歴史的な価値を持ち始めたPCは今年240000ドルで売られている。
因みに34年前に買っていたら年利18.9%となかなかの投資。

applepc.jpg

参考URL;
http://holykaw.alltop.com/original-apple-computer-hits-auction-block-fo

投稿者: 三ツ松新 日時: 10:59 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月06日

「20歳のときに知っておきたかったこと」著者来日!

解説を書いた「20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義」おかげ様で25万部までいきました。
その本の著者でスタンフォード大学のイノベーション教育を担当しているティナ・シーリグ日本に来ます。

3日間それぞれアカデミーヒルズ、明治大学とグロービスで講演・ワークショップを実施します。
初日アカデミーヒルズのときはモデレーター担当します。初日のときは150人と少人数にしぼってあり、事前課題もあってスタンフォード大学の講義が生で受けられますよ。
どの日もそれぞれの良さがあるので興味ある人は是非ご参加ください!

詳細は以下の通り。
http://e-days.cc/special/20sai/

投稿者: 三ツ松新 日時: 14:29 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月29日

中国のサービス型スーツメーカー

報喜鳥集団は1996年創立のスーツメーカーですでに売り上げは150億円近くある。スーツのレンジは3万円から15万円近くの物もあり決して安さを売りに大きくなってきたわけではない。値引きはしないの大原則のようだ。

それだけならそんなに驚くものではないが、ここがおもしろいのはロイヤリティープログラムで購入額に応じて、銀鳥、金鳥、不死鳥とメンバーのステータスが変わる。そして上に行くと、健康診断やメンバーだけのカクテルパーティーやツアーに参加できる。ドバイ5日間の旅なんかもやったそうな。

ビジネスマンの交流会は世界中どこでもあるが、どこも人脈をつくるの多かれ少なかれ参加者のひとつの目的だろう。しかしレベル感を維持するのは非常に難しく、最悪の場合変な押し売りをされたりする。

でスーツメーカーは確かに非常に質のいいクライアントリストを作ることは可能だ。中国で10万円以上のスーツが買えて、なおかつ買おうと思う人はそれなり成功して自己への投資もしようと思う人だろう。そんな人だけ集まれば確かにそれなりのレベルになるわな。ここまで来るともはやスーツメーカーと言うよりサービス業に限りなく近くビジネスモデルとしてもなかなか斬新だ。

参考記事
http://www.forbes.com/global/2010/1011/best-under-billion-10-baoxiniao-garment-look-like-vip.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 11:53 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年09月30日

バカとグーグル脳は紙一重

検索エンジン使うとバカになると言うおじさんに会うと、写真撮影の度に命が減ると言うおじいさんの笑い話を思い出すのは俺だけか?でも笑いごとではない。もちろん自分も含めてだが人間バカにならんためにはめちゃくちゃがんばらなあかん。

注;関東圏の人はバカをアホと読み替えてください。

UCLAのGary Small博士の調査が実に興味深い。下の写真の左側が文字を読んでいる時、右側がインターネットを使っているとき、そして上はネットに精通していない人、下が精通している人の脳の活動領域。

ネットに精通していない人(上)は文字を読むときもネットで検索している時もあまり脳の使い方に違いがない。
一方精通している人(下)は本を読むときにはあまり違いはないが、ネットを使うときの脳は明らかに違う。前頭葉、思考と意思決定する部分が特に活発だ。

gglbrain.JPG

文字通り、バカもはさみも使いよう。どんなに高尚な共通善のために作られた技術でもバカが使えばとんでもないことになる。新しい技術には必ず功罪があり、ノーベルの研究はダイナマイトにいかされ、アインシュタインは原爆に。そして日本で今、最もノーベル賞に近いだろう山中先生のips細胞はもはや神の領域である。天使にも悪魔にもなりうるすごい技術だがそれをどう使うかは人間の手にゆだねられている。

茂木健一郎さんがこないだテレビで思い出すのをあきらめてすぐに検索エンジンに頼るのはいけないと言っていた。記憶領域から情報を引っ張りだす神経が弱るだろうからそりゃあそうやと思う。例えばオーストラリアの首都はどこだっけ?みたいな明快の答えが一つしかないもんにいつも使ってれば脳はナマクラになるやろう。

でもだからと言って検索エンジンとかインターネットがバカにするわけではない(これは拡大解釈で彼はそうは言ってない)。興味のある対象についてより深く知りたいと思えばこれに勝る技術はないだろう。辞書、事典などと比較すると周辺情報に弱いという議論も時々聞くが、そう言う人はリンクを十分に活かし、段階的に深層まで検索しきれているのだろうかと疑問に思う。ネットに精通していない脳の人が言ってもあまり説得力がない。いや本人にとっては説得力が有り過ぎるのが問題だろう。

ところで以前なぜ馬鹿になるかと言う論文を読んだが、思わず苦笑してしまった。結論としてはバカと気付かないからバカになる。簡単に言えばまわりの空気が読めないどころか相対的な自分の位置すら見えないからバカになるそうだ。ハーバードやケンブリッジ卒であろうが、小学校卒であろうが、自分の位置が分からなくなった瞬間バカになるわけだ。エンロンの経営陣をバカと言っても異論を挟む人は少ないだろうが、破たんした時のCEOのスキリングはハーバードビジネススクール卒でその後マッキンゼーにいた超エリート(この言い方自体なんかバカっぽいがw)だ。
こんな人でも権力を持ち自分の立つ位置が分からなくなるとバカになるんだから自戒も込めてこれは本当に気をつけないといけない。

そう言えばぼくが子どもの頃はテレビでバカになるとか、ゲームでバカになるとか、白米食うとバカになるとか(これ言ったの担任の先生w)。どんどん世の中バカになるようだが、最近の若者はバカというのは3000年ぐらい言い続けられているそうなので若い諸君、あまり気にしないように。ここ数十年間IQテストの平均を同じぐらいにするために問題を難しくしている。やはり世の中は進化して賢くなってるわけですな。学力低下はむしろ相対的なもんで絶対的なもんじゃない。アメリカはここ50年でIQが15ぐらいあがっている。平均の人が100で70以下が軽い知的障害とされているのでそのぐらいすごい飛躍かがわかるだろう。

さて話を戻すがこの調査の結果をみるとようはインターネットに精通していない人は自分が検索エンジンを十分使いこなせていないことになる。しかし本人はそれに気付いていない。そしてその結果ノスタルジーにひたりながら検索エンジンに否定的な立場をとり始めると・・・・・

参考資料;

http://journals.lww.com/ajgponline/Abstract/2009/02000/Your_Brain_on_Google__Patterns_of_Cerebral.4.aspx

投稿者: 三ツ松新 日時: 13:28 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年09月29日

我思う、故に我あり

とは科学と哲学がまだたもとを分かつ前の偉人デカルトの言葉だ。400年近く前の彼は数学者で自然哲学者。今でも博士号を文理系関係なくPhD(Docter of Philosphy)と呼ぶのはその名残やね。

ただ最近のようにこのあたりが別れる弊害もある。
「宗教と芸術と科学は同じ木の枝である」とアンシュタインは言って久しいが昨今のソーカル事件に代表されるよう様な似非自然科学哲学者はそれこそ早く「自然淘汰」されてほしいと思うのはおれだけか?
もちろん倫理や世界観を持たない科学者も同じぐらい危険だが。

科学は、少し乱暴ではあるけど、現象を理解する基礎科学とそれをどのように有効利用していくかという応用科学の二つにわけれる。例えば卵の形がなぜ強いのか解明ができれば、頑丈な構造物に応用できる。そして基礎的な科学では現象が先にあり、その理解は後から起きる。

そうそう、経営学の研究結果を見てそんなん当たり前じゃんとかいう人おるよね。例えば動機理論なんかで人は叱られ続けるとやる気を無くす的な論文の結論を見るとそう思いたい気持ちも分からなくもない。
だが何が本当で何が当たり前か解明するのは難しい。民間療法のように長いこと残っている宗教や哲学は科学的にも正しいことは多いとは思うがすべてそうとは限らない。
だからこの作業を無駄と言ってプラグマティックな自分にひたってはいかんやろう。現象解明はそんなもんなんであせったらいかん。

これまで心と科学の枝のに関する理解は遠のくばかりに見えていたが、最近の遺伝学、神経科学や脳科学の領域の発達は本当にすごく、少しづつまた近づくのじゃないかという明るい兆しも見える。

ぼくが学生時代遺伝子の配列決定はほぼ手動だったが今は機械化、自動化のおかげでものすごい勢いでヒトゲノムの解読も終わった。その配列の意味の解明にはまだまだ時間がかかると思うが、今度は脳内の神経接続地図の解明もすすんでいる。以下の写真のように脳の一部を何枚にもスライスにして神経のある部分を重ねていくとつながりが見える。

neuron1.JPG

もっともDNAの塩基対が30億ぐらいに対して脳の神経細胞は1000億個、そしてその間の接続は何千億や何兆というレベルになるので地図をつくるだけでも気の遠くなるような話。また先天的なDNAとは違い「我思う」ことにより接続は変わり「我あり」になるわけだがそれが地図をつくるのをさらに難しくする。
しかし解明ができれば神経と心の理解はすすみ自然哲学にも大いに貢献するだろう。

参考URL
http://www.ted.com/talks/sebastian_seung.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 17:15 | | コメント (0) | トラックバック (0)