三ツ松新'sブログ

イノベーションコンサルタントのデジタルクリップ

2012年09月05日

宗教と犯罪の相関関係と近況

すっかり廃墟のようなウエブサイトとブログになりつつあり、知人から時々大丈夫かと聞かれる。シンガポールに来て6か月近くになるが、日本と毎月2往復程度する生活をしていますがいたって元気です。こちらはどことなく日本のバブル期を彷彿とさせるところがあり、危なっかしさもありつつ刺激的でもあります。

ブログをほとんど更新しなくなってしまったのは病気でも、倒産でも、夜逃げしたわけでもありまえせんw。ビジネスと体は至って順調です。単純にフェースブックやツイッターがでてきたから。ブログの意義はまだまだあると思うが、やはり市場細分化とでもいうか、一部の機能はミニブログやミニミニブログと言われるソーシャルメディア系のとって変わられてる一面はありますね。

昨日フェースブックで宗教と犯罪に関するエコノミストの記事がおもしろかったのでコメント書きました。興味ある方は元記事は英語ですが一番下にリンク張ってあるのでおもしろいので是非。

ブログを書くことはめっきり減ると思うので私に興味のある変人wは以下からお願いします。
twitterのアカウントは以下の通り。

@ArataMitsumatsu

Facebookは以下の通りです。お会いしたことやネットで絡んだことない人のフィード購読も大歓迎です。

http://www.facebook.com/amitsumatsu

宗教と犯罪率に関するエントリーです
http://www.facebook.com/amitsumatsu/posts/427676903944784

あとそうそう写真も7,8年前のものなんでさすがに違ってきました。

投稿者: 三ツ松新 日時: 17:35 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年09月30日

座学は有効か?教育にもイノベーション

どこの国の学校教育も多かれ少なかれ先生が前に立つ講義形式が一般的だろう。
しかしノーベル物理学賞受賞者でもあるブリティッシュコロンビア大学のカールワイマン博士らが教育方法について非常に興味深い報告をしている。

科目は物理学でコースは12週間。300人近い学生2グループの一方には通常の講義を、もう一方には通常の講義以外に小さいグループでのディスカッションや電子デバイスを使ったクイズなどを取り入れた。同じテストを受けたところ正答率が前者で41%後者はなんと72%とかなりの差。

この方法はもともとDeliberate practice(熟考的訓練とでも訳すかな)という手法で、以前から知られてはいたがここまで違いが出るデータはあまりないのではないだろうか。企業研修などは以前からこのような手法は取り入れられていて私自身も企業研修をするとき座学が半分を超えることは少ないが学校教育にも、もっと取り入れていくべき方法だろう。

参考;
http://bps-research-digest.blogspot.com/2011/06/is-it-time-to-rethink-way-university.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+BpsResearchDigest+%28BPS+Research+Digest%29&utm_content=Google+International

投稿者: 三ツ松新 日時: 23:18 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年09月29日

我思う、故に我あり

とは科学と哲学がまだたもとを分かつ前の偉人デカルトの言葉だ。400年近く前の彼は数学者で自然哲学者。今でも博士号を文理系関係なくPhD(Docter of Philosphy)と呼ぶのはその名残やね。

ただ最近のようにこのあたりが別れる弊害もある。
「宗教と芸術と科学は同じ木の枝である」とアンシュタインは言って久しいが昨今のソーカル事件に代表されるよう様な似非自然科学哲学者はそれこそ早く「自然淘汰」されてほしいと思うのはおれだけか?
もちろん倫理や世界観を持たない科学者も同じぐらい危険だが。

科学は、少し乱暴ではあるけど、現象を理解する基礎科学とそれをどのように有効利用していくかという応用科学の二つにわけれる。例えば卵の形がなぜ強いのか解明ができれば、頑丈な構造物に応用できる。そして基礎的な科学では現象が先にあり、その理解は後から起きる。

そうそう、経営学の研究結果を見てそんなん当たり前じゃんとかいう人おるよね。例えば動機理論なんかで人は叱られ続けるとやる気を無くす的な論文の結論を見るとそう思いたい気持ちも分からなくもない。
だが何が本当で何が当たり前か解明するのは難しい。民間療法のように長いこと残っている宗教や哲学は科学的にも正しいことは多いとは思うがすべてそうとは限らない。
だからこの作業を無駄と言ってプラグマティックな自分にひたってはいかんやろう。現象解明はそんなもんなんであせったらいかん。

これまで心と科学の枝のに関する理解は遠のくばかりに見えていたが、最近の遺伝学、神経科学や脳科学の領域の発達は本当にすごく、少しづつまた近づくのじゃないかという明るい兆しも見える。

ぼくが学生時代遺伝子の配列決定はほぼ手動だったが今は機械化、自動化のおかげでものすごい勢いでヒトゲノムの解読も終わった。その配列の意味の解明にはまだまだ時間がかかると思うが、今度は脳内の神経接続地図の解明もすすんでいる。以下の写真のように脳の一部を何枚にもスライスにして神経のある部分を重ねていくとつながりが見える。

neuron1.JPG

もっともDNAの塩基対が30億ぐらいに対して脳の神経細胞は1000億個、そしてその間の接続は何千億や何兆というレベルになるので地図をつくるだけでも気の遠くなるような話。また先天的なDNAとは違い「我思う」ことにより接続は変わり「我あり」になるわけだがそれが地図をつくるのをさらに難しくする。
しかし解明ができれば神経と心の理解はすすみ自然哲学にも大いに貢献するだろう。

参考URL
http://www.ted.com/talks/sebastian_seung.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 17:15 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年05月20日

歴史の意味とジョン・ダワー

ジョン・ダワー氏は1999年に日本の戦後復興について書いた「敗北を抱きしめて」でピューリッツァー賞を受賞した人で今はMITの教授をしている。

本人はアメリカ人だが奥さんは日本人で若いころに金沢にも住んでいたそうな。日本を勉強するには確かにいいところだね。そしてハーバードの修士では森鴎外、博士号は吉田茂を研究対象にしていて、根っからの親日家と言えるだろう。

先日テレビで彼のインタビューを見たが非常におもしろくまた共感できることが多かった。
言葉の端々に日本に対する本当に大きな愛を感じた。
その愛があるからこそ彼には戦勝国にはない独特の視点が生まれたのだろう。

少し意外だったのが、歴史ばなれの若い人についてどう思うかという問いに対して非常によくわかると言っていたこと。あと自分ですら学士をとるまで歴史は嫌いだったという意見は興味深い。
年を重ねるとともに自分が理解できない世の中の現象を理解しようとしたときに歴史に興味を持ち始めたと言う。

これは非常によくわかるし共感できる。比べるのは非常に僭越だがぼくも中学ぐらいまでは歴史はきらいだった。時系列にできごとと年号を覚える意味が理解できなかった。大学受験も理系は5教科12科目と最も受験科目数が多い時代にも関わらず社会は現代社会と地理をとって歴史は避けた。大学での一般教養でも歴史はとらないで済むしな。

ところが歴史小説やドキュメンタリーは好きで、また大河ドラマも小学校の頃は必ずと言っていいほど見ていた。
ほんでもこれって多分あんまめずらしい話ちゃうやんな。そういう人多いんちゃうか?

ただよくよく考えると本来歴史は物語であって、過去の体験を未来に活かすもの。動物行動学者のドーキンスは「言葉は第二の遺伝子である」という名言を残したが、太古の「歴史」はどこにいつごろ動物が通るかとか、いつごろ種をまくといいとか生活に密着していたものだ。

それが人間が言葉と文字を持ち、さらに印刷などで再生産する力を持ったことにより過去から学ぶ能力が飛躍的に増した。ところが世の中が複雑になり過ぎて目の前の問題を解決するために歴史に解を求めることは若いころはあまりないんちゃうかな。単純に物語としてのは歴史はおもしろいが、歴史ってむしろ30代過ぎてから勉強したほうが効果的なんじゃないかとも思う。

カナダの心理学者のタルヴィングがエピソード記憶という長期記憶の一種を提唱していて、文字通りエピソードを記憶する能力である。手続き記憶のような短期記憶は年とともに衰える。例えば8ケタのランダムな数字を覚える能力は20代を境にどんどん落ちる。ところがエピソード記憶は年齢とともにより多くの海馬の領域を使いむしろ発達するという説もある。少し論理の飛躍を承知で言えば歴史に学ぶ能力は年をとってきてからのほうが高くなる。おじさんの話が長いのはのせいか?(笑)

あともうひとつ興味深い視点。彼は日本を多様性の国と言った。さすがだと思う。

企業現場でも日本は多様性がなく同質という意見をよく聞く。そして多様性を持たすために女性や外国人を増やそうとなる。これはこれで間違いなく多様性だけど、それは一部ですよね。

そして多様性を増すためにいきなり女性や外国人を短期的に増やすのは現実的ではなく、すでにそうなっている会社と比較して優位性が持てるわけでもない。また多様性を増やしても、異質なものを受け入れる能力がなければほとんど意味がない。それでも持続性の高い成長企業になるには多様性を増す努力はしないといけないのは言うまではないが。

多様性の中にも多様性があるのでまずは身近な多様性に目を向けるのが現実的だろう。

以下インタビューの一部
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
歴史学の中の何があなたを引きつけますか?

日本は、アメリカや他のどの国でも同じだが、とても複雑で多様性のある国なんです。

いわゆる「日本」はない、いわゆる「日本人」もいないんです。

たくさんの異質な日本があって、たくさんの異質な日本人がいるのです。

そしてその複雑さが魅力なんですよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

出典;
トップインタビューに学ぶ
自分を語る表現術にて
NHK教育

What in history study attracts you?

Japan like America like any country, is a very complex, diversified country.
There's no "Japan". There's no "the Japanese"
There's many different Japans, and many different Japanese.
And it's this complexity that interests me.

投稿者: 三ツ松新 日時: 15:31 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年03月11日

創造性には昼寝は90分以上

昼寝と創造性の関連性についてUCサン・ディエゴのチームが科学実験をしたら、創造性を高めるにはレム睡眠が必要という調査結果がでた。レム睡眠とは身体が眠っているのに、脳が活動しているような状態で、60分以上寝ないと起きない。

777人の被験者を安静、60分睡眠、90分睡眠の三つのグループに分けた。その前後でRATという創造性を測定するテストを実施したら90分後でレム睡眠が見られたグループのみ判定があがった。シエスタ(昼寝)があるイタリアやスペインあたりから、ダリ、ダヴィンチ、フェラーリ、ベルサーチ見たいな創造力と慣性の塊のような人がでてくるのは偶然ではなさそうだな。

個人的には昔から昼寝が好きでかなり寝不足が続いても20分程度寝るだけでもかなりすっきりする。ただ経験的には1時間以上寝ると次は体がなかなか始動しないので避けていた。最もその状態が仕事の内容によっては良さそうね。

参考記事;
http://www.sciencentral.com/video/2009/09/29/naps-and-creativity/?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+Sciencentral+(ScienCentral)&utm_content=Google+International

投稿者: 三ツ松新 日時: 15:10 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年06月02日

金融危機はMBAの責任?

今回の金融危機の矛先がMBAにも向けられている。
ちょっと前になるがニューヨークタイムズの中でIs It Time to Retrain B-Schools?というタイトルの記事がある。日本語にすればそろそろビジネスクールをオーバーホール時期じゃないかというような意味合いかな。

記事中にMBAに入学する時にいた分野と卒業してからいく分野の比較する表があるが、もっとも上昇しているのはファイナンス、その次がコンサルティングでマーケティングが微増。逆に落ちているのは管理業務・オペレーション・ITと人事。卒業生の40%以上の人がファイナンス関連分野に従事している。
これを根拠のひとつとしている。

0315-sbn-webSCHOOL.gif

いろいろな専門家の意見をまとめているが、ようはMBAが過大な科学的経営や数値理論に傾きすぎたために現場力や人間力が軽視されているというようなものが多い。まあ多かれ少なかれ感じている人は多いと思う。

創業者が海兵隊出身でバリバリ現場主義のフェデックスは「発送があまりにも簡単でMBAホルダーでもできる」というヴァイラルマーケティングの広告までだしちゃってる。

それとそのほかにMBAの生徒のほうがよくカンニングをするという論文まである。2006年の論文になるが、過去一年の間にカンニングまたはそれに類する行為(cheating)をしたことがあるかという質問に対して、MBAでは56%がビジネス分野以外では46%があると答えている。

これは解釈が難しいなあ。ビジネスの世界はカンニングありという意味合いのことはよくいわれるからなあ。マネをすることと不正をすることの線引きって意外に難しい。

またこの記事を受けてハーバードビジネススクールのウエブサイトにコラムがあがっていて議論がもりあがっている。コラム事態はある程度非は認めつつ、ただそこまでか?ということと何が問題で今後どうすべきかということを書いている。

コメントの大半はマスコミが言うほどのものではないが、やはり責任の一端はあるだろうというものが多い。この一端がどの程度かはずいぶん個人差がある。

私もMBAや企業研修で教えることが多いので、思わずコメントしてしまったが、そりゃ多少の責任はあるでしょう。産業界や新資本家階級のニーズに則していたとも言えるけど株主至上主義のいいだしっぺだしね。それと対応策として議論の中でも良く上がってくるモラル教育ももちろん必要でしょう。

ただしだからといって藁をもすがる気持ちで時々聞かれる欧米型の管理型経営の崩壊というのはちょっと早合点かな。

行き過ぎた管理を実施した反省から手綱を緩めるのはすごくいいことだと思う。だけど正しく経営管理が導入されたことがない状態でまたもとの木阿弥も未来がないな。

参考記事、論文;
http://www.nytimes.com/2009/03/15/business/15school.html
academic dishonesty in graduate business programs prevalence causes and proposed action
ftp://ftp.cba.uri.edu/Classes/Beauvais/MBA540/Readings/McCabe_2006.pdf
http://blogs.harvardbusiness.org/how-to-fix-business-schools/2009/03/are-business-schools-to-blame.html
http://www.abc.net.au/rn/backgroundbriefing/stories/2009/2526727.htm

投稿者: 三ツ松新 日時: 09:50 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年04月13日

MITの先生によれば記憶力は努力の賜物

MITの心理学者が視覚情報に関連する記憶テストを行った。5時間もかけて3000のイメージを見ていく拷問に近い(笑)テストて、あとからイメージの詳細について聴かれる。たとえば携帯電話の写真であれば携帯電話があったかなかったとかではなく開いていたか閉まっていたかとか。

これ正答率ってどの程度だと思います?専門の学者の事前予測よりはるかに高く、90%もあったそうな。

でもここまでで人間の記憶力がいいのになんでどこに鍵をおいたかと単純なことは忘れるのだろう?個人的には車をどこにとめたかよく忘れる.

研究者によれば覚えようという努力が大きな影響を及ぼすそうな。「忘れるのはお前の努力が足らんからじゃ!」という根性論もまんざらうそではないね(笑)。

とはいえ努力の方向間違えると意味がない。例えば「ぼくは一生忘れません!」と1000回念じてもあまり意味はないで。ここで重要なのは視覚情報とリンクさせること。例えば、鍵を置いた場所とかデザインとかのイメージメモリーについて置く時に考えておくといいそうな。

参考URL;
http://www.sciencentral.com/video/2008/12/03/your-memory-is-bigger-and-better-than-scientists-expected/

投稿者: 三ツ松新 日時: 10:40 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年03月17日

作り顔でも気持ちは変わる

ダーウィン先生が昔、顔面フィードバック仮説(facial feedback hypothesis)というものをとなえている。日本語にするとなんじゃそりゃ見たいな名前やけど、ようはある気持ちになった時に、その気持ちを表情や体で表現すると増長されるというもの。

うれしい時に思いっきり笑うとさらにうれしく感じたり、怒ったときに怒り始めると、怒りが増す経験ってないですか?

じゃあ何もない状態で単に作り顔したときはどうなるんやろうか?そんなんを調べる実験をミュンヘン工科大学が行ったが、美容のためにボトックス注射をした人と、していない人に怒った顔と悲しい顔をしてもらって脳の状態を調べた。

ボトックス注射をした人は怒った顔や悲しい顔をしにくいようになっているが、どちらの場合もその感情に関連する脳の部位の反応がしてない人より弱かった。

経営の世界でモチベーションをあげるためにあえて笑おうとか、怒りを表に出さないようにと言われるとなんとなくうさんくさい精神論になりかねないが案外そうでもない。

そういえばタイの警察では「笑い講習」なるものがあり、実際に警察官の健康状態に好影響がでているそうな。いつも怒っているが短期的な数字だけあげてくる人の評価は見直したほうがいいね。

参考URL;
http://bps-research-digest.blogspot.com/2009/03/botox-patients-help-emotion-researchers.html

参考論文;
Hennenlotter, A., Dresel, C., Castrop, F., Ceballos Baumann, A., Wohlschlager, A., & Haslinger, B. (2008). The Link between Facial Feedback and Neural Activity within Central Circuitries of Emotion--New Insights from Botulinum Toxin-Induced Denervation of Frown Muscles Cerebral Cortex, 19 (3), 537-542 DOI:

投稿者: 三ツ松新 日時: 18:03 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月17日

ハーバードがドラえもんになる日

雑誌アントレプレナーの記事の元タイトルがHarvard for Losers になってるんで「負け組のためのハーバード」のほうが直訳に近いけどこの活動をそう呼んでいいものだろうか・・・

しかしこのMimi Silbert女史の活動には感心を通り越して感動する。スラム街にDelancey Street Foundationと言う名の学校をつくり、無償でホームレス、薬物中毒、前科のある人を教育している。そこの卒業生はその後まっとうな職業につくが、中には医者や警察官になる人までいる。

最近でこそ日本でもNPO流行りだが、UCバークレー校で心理学の博士号を持つ才女のSilbert氏は1971年の30歳になる前に、たった10万円の資金でこの活動を始めている。おそらく博士号をとってすぐの頃だろう。

家族のように同じところに住む学校が始まったが、おもしろいのはそのまま大きくなってることだ。すでに全米に五か所の学校があるが、基本的には住居がいっしょになっている。本拠地のサンフランシスコの施設は37000㎡あるというからすごい。甲子園球場のグラウンドの2.5倍ぐらいだ。そしてもっとすごいのはどの施設もすべて無料で雇われている人がいない。

収入源はもちろん寄付もあるが、施設の住人が運営するレストランやアートギャラリーなどの営利施設からも入る。何かと世知辛いと思われがちなアメリカに運命共同体のような組織ができあがっているが、やはりあの国の一部の人の底力には感動する物がある。本当に称賛してもしきれない人っているもんやね。

参考記事;
http://www.entrepreneur.com/worklife/successstories/article198252.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 08:54 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月04日

年をとっても保守的にならない。

年上の人はなにかと保守的だと思う?確かに若い人よりそううつるかもしれないけど、年をとるほど保守的になるわけじゃないみたいやね。

ペンシルベニア州立大学で30年以上の国民意識調査を分析した結果、年長になるほどむしろ自由主義になる傾向があるそう。一般的に年長のほうがコンサバに見えるのは、若いころの出発点がそもそもめちゃくはコンサバやからね。

4万人以上のアメリカ人対象の調査やから日本では多少事情が違うかもしれんけどね。ただ確かに70以上の人が20代のころは随分と古いことを言ってたんやろうなあと言うのはなんとなく想像がつく。

身近なところでも両親が自分に言い聞かせてたことと、うちの子供に言っていることとずいぶんと違う。
まあこれは単に孫に甘いだけか(笑)。

参考記事;
http://www.livescience.com/health/080310-liberal-seniors.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 17:31 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年01月25日

大卒は女性のほうが多い(アメリカ)

U.S. Census Bureau が今月の10日に発表した内容によれば25から29歳の女性大卒者は33%、男性は26%。

そのほか給与は18歳以上の男女で大卒以上(修士、博士含む)と以下の資格で比較すると各々$82,320と$20,873で4倍以上の差が開いた。アメリカは学歴社会というより学位社会に近いと言うけど如実にでてますね。

因みに人種別25歳以上の大卒者でみるとアジア系52%、アングロサクソン系(白人)32%、黒人19%、ヒスパニック13%。

それはさておき大卒女性数の伸びが著しい。
子供のころから単純に女の子のほうが生まれつき頭がいいと思っていたが本当だったりして。

女性の社会進出を示す統計はいろんな所で見られますがはますます増えてくるでしょうね。おまけに家事の自動化がどんどん進むとますます拍車がかかる。我が家でも自動洗濯機、自動食洗機、掃除機ロボットが活躍してるが本当に便利になったもんだと思う。

女性は家庭を守るべきなんて思ってると完全に国際社会に取り残されるね・・・・・

ってしめようかと思ったが天の邪鬼根性が許さないw

家庭を守る仕事はアメリカのサラリードットコム調査では年収1600万円と換算。日本の経済企画庁では303万9000円。アメリカの数字は民間の調査でアウトソーシングが前提になってるので単純比較はできないがこの意識の差をどう思いますか?

それで思い出すが、私が以前勤めていたP&Gでアメリカ人だが当時最年少の女性副本部長が子育てをしたいと30半ばであっさり会社をやめてしまった。因みにここの旦那も同じ会社で役職は2つ下。彼の名誉のために言えば決して出世が遅いわけではなくかなり尊敬を集める人だった。だけど給与は当然低い。理屈だけ言えば給与の高いほうが残ることのほうが家計のためだろう。

ただ「利己的な遺伝子」のドーキンスの言葉を私なりに解釈すれば我々の体は未来へ遺伝子を残す媒体にすぎない。であれば衣食住に困らないレベルになればより優秀なほうが家庭を守ったほうが利にかなう。極論ではあるが衣食住に困らないレベル以上であれば共働きはどちらも年収が1600万円を超えないと意味がないことになる。

まあ1600万円の是非はいくらでも議論できようが、ようは家庭を守るという仕事があまりにも軽視されてしまっている。本当に優秀であればあるほど未来のために家庭に時間を費やすのも悪い選択肢ではないだろう。それも男女関係なく。

因みに最近その彼女は10年ぶりにP&Gに戻ってきたそうだ。

投稿者: 三ツ松新 日時: 10:48 | | コメント (4) | トラックバック (0)

大卒は女性のほうが多い(アメリカ)

U.S. Census Bureau が今月の10日に発表した内容によれば25から29歳の女性大卒者は33%、男性は26%。

そのほか給与は18歳以上の男女で大卒以上(修士、博士含む)と以下の資格で比較すると各々$82,320と$20,873で4倍以上の差が開いた。アメリカは学歴社会というより学位社会に近いと言うけど如実にでてますね。

因みに人種別25歳以上の大卒者でみるとアジア系52%、アングロサクソン系(白人)32%、黒人19%、ヒスパニック13%。

それはさておき大卒女性数の伸びが著しい。
子供のころから単純に女の子のほうが生まれつき頭がいいと思っていたが本当だったりして。

女性の社会進出を示す統計はいろんな所で見られますがはますます増えてくるでしょうね。おまけに家事の自動化がどんどん進むとますます拍車がかかる。我が家でも自動洗濯機、自動食洗機、掃除機ロボットが活躍してるが本当に便利になったもんだと思う。

女性は家庭を守るべきなんて思ってると完全に国際社会に取り残されるね・・・・・

ってしめようかと思ったが天の邪鬼根性が許さないw

家庭を守る仕事はアメリカのサラリードットコム調査では年収1600万円と換算。日本の経済企画庁では303万9000円。アメリカの数字は民間の調査でアウトソーシングが前提になってるので単純比較はできないがこの意識の差をどう思いますか?

それで思い出すが、私が以前勤めていたP&Gでアメリカ人だが当時最年少の女性副本部長が子育てをしたいと30半ばであっさり会社をやめてしまった。因みにここの旦那も同じ会社で役職は2つ下。彼の名誉のために言えば決して出世が遅いわけではなくかなり尊敬を集める人だった。だけど給与は当然低い。理屈だけ言えば給与の高いほうが残ることのほうが家計のためだろう。

ただ「利己的な遺伝子」のドーキンスの言葉を私なりに解釈すれば我々の体は未来へ遺伝子を残す媒体にすぎない。であれば衣食住に困らないレベルになればより優秀なほうが家庭を守ったほうが利にかなう。極論ではあるが衣食住に困らないレベル以上であれば共働きはどちらも年収が1600万円を超えないと意味がないことになる。

まあ1600万円の是非はいくらでも議論できようが、ようは家庭を守るという仕事があまりにも軽視されてしまっている。本当に優秀であればあるほど未来のために家庭に時間を費やすのも悪い選択肢ではないだろう。それも男女関係なく。

因みに最近その彼女は10年ぶりにP&Gに戻ってきたそうだ。

投稿者: 三ツ松新 日時: 10:48 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年12月04日

数学的帰納法は演繹法である

wikipediaで調べごとをしていたらおもしろい記述があった。
「数学的帰納法の解法プロセス自体は帰納法ではなく演繹法である」とある。よく考えたら当たり前やけど混同しがちやね。

これなんだかわからんオタッキーな世界かも知れんけど、前提になる帰納法と演繹法はロジカルシンキングの講義にもよくでてくる基本的な考え方なんで簡単に説明します。

演繹法の一例ですが
「世の中みんなアホじゃ!」
「でも俺もそんな世の中の一人」
「だから俺もアホ」

式にすると
A=B、C=A だから C=B(俺=アホ)
となる

だから「日本人ってこういうところがだめだよねー」と言って自分を棚上げしてる人は演繹的に矛盾していると言えます。

で次は帰納法ですが

「俺めちゃアホやねん」
「お前もめちゃアホやろ」(うふ)
「ほんでツレのまさもアホやろ」
「だからみんなアホよね」(ポッ)

A=B
C=B
D=B
よって
Z=B(みんな=アホ)
みたいな話です。

基本的に帰納法のほうが演繹法よりは反論がしやすい。特に上のは誰にでも反論は簡単やと思います。例えば、
「おまえそない言うけどジャイアント馬場はアホとちゃうで」とか。
もう少し議論を強くしたければ(馬場ファンごめん)
「おまえそない言うけどエジソンはアホとちゃうで」とか。

話は戻りますが数学的帰納法の場合は公式があるので名前は帰納法ですが演繹法になります。
例えば
1,2・・・・・
とあれば次は何がきますか?

順番通りなら3。前の数の倍なら4。もしある人の電話番号の最初の2桁なら何が来てもおかしくありません。だから帰納法的に答えは実のところわからない。だけどここで1番目以外のn番目が2(n-1)で規定されるとなるといきなりわかりますよね。

ビジネスの世界での公式のない帰納法的な考え方がよく出てくるので要注意です。例えば食品会社の不正問題で全部が悪いような意見もありますがそんなことは決してないですよね。帰納法的論法はあたかも正しいように聞こえることもあるので特に環境が変わるときにはよく観察することを心がけたい。

投稿者: 三ツ松新 日時: 09:06 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年11月18日

雑踏の中での会話には左脳が働く

雑踏の中でもうまく音を聞きわけられた経験は誰にでもあると思う。その行動をしているときには左脳がより活発になるという研究成果が発表された。右脳が拡散、左脳が収束思考であることを考えれば理にかなうが。

投稿者: 三ツ松新 日時: 09:01 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月05日

犬にも右脳左脳

イタリアの科学者の新しい発表。犬は好きな飼い主の前では右にしっぽをふり、慣れない犬が来た時には左にふるらしい。どのような脊椎動物でも危機回避には右脳のほうが強く関連しているという研究成果が他にもある。基本的に体と脳みそは交差してつながってるのでそれらを考え合わせれば説明はつく。

能動的な理屈が通じる環境では左脳に頼り、予測困難な場合は受動的になり右脳にたよるという解釈がわかりやすいかな。一般的に盾を左手、剣を右手に持つのは理にかなうね。盾は計画的に動くことは無理だから。

http://blog.sciam.com/index.php?title=dog_tails_as_tell_tales_or_how_a_dog_sol&more=1&c=1&tb=1&pb=1

投稿者: 三ツ松新 日時: 07:35 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月27日

賢者とはわかりやすい人

amazon.comにText Statsという面白いサービスがある。本の難しさをいろんな指標で出してくれる。その中でもFlesch-Kincaid指数というのがあって何年生相当の英語なのかがわかる。指数は文章中の単語数と、単語内の音節の数から計算される。

例えばチャーリーとチョコレート工場なら4.9で小学校4,5年生向き。マイケルポーターの競争戦略なら15.7なので大学4年生レベルということになる。

面白いのは同じ作者であれば、どの本の数字もめちゃくちゃ近い。マイケルポーターなら15の後半。イノベーションのジレンマで有名なクリステンセンは14あたり。この二人でも難しいことを簡単に書くことには長けてると思うけど、ドラッカーはなんと12あたり。高校生でもわかるレベルということになる。

逆説的やけど思わずアイゼンハワーのこんな言葉を思い出した。

「知識人とは必要以上の言葉を使って、知っていること以上を伝えようとする人だ」

短く書くこと、難しい単語を減らすこと。普段から気をつけなあかんね。

原文;
An intellectual is a man who takes more words than necessary to tell more than he knows.
Dwight D. Eisenhower

投稿者: 三ツ松新 日時: 13:39 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月21日

キャリアも二極分化

下の表はWSJ(ウオールストリートジャーナル)で掲載されてたものだが、横軸が教育のレベル,縦軸が人材需要の変化で80年代と90年代を比較している。アメリカの数字だけど明らかに教育レベルの真ん中あたりの需要が落ち込んでいる。

基本的にはWSJと同感やけど、低いところはもう海外シフトや機械化による効率化はくるところまで来ていて、なくならない作業的な物の需要はある。だけどコンピューターの能力向上によって、知能ルーティーンが置き換わっているため真ん中あたりが打撃を受けてる。

日本での状況も近いんでしょうね。身近でも企業リストラの後の再就職で苦労される話をよく聞くけどやはり状況が変わっている。これから目指すは知識より知恵。

20071012-wessel.jpg

投稿者: 三ツ松新 日時: 08:26 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月16日

右脳派それとも左脳派?

下の動画はどっち回転に見える?

0,,5693171,00[1].gif

出典;
http://www.news.com.au/heraldsun/story/0,21985,22556281-661,00.html

右脳が創造脳で左脳が論理脳といわれるが、実際はそこまできれいに脳を使いわけているわけではないので俗物的科学という批判も多い。たとえば右脳型は芸術脳と言われるが当然左脳型の芸術家はいる。またその逆もしかりで左脳型といわれる数学者や経済アナリストにも右脳型はいる。
そうは言いながら思考のためのフレームワークとしては一定の実績と評価はあるので、偏見に満ちた、間違った使い方をせんかったらええんちゃうかな?

とまあ前置きはさておき上の動画のやけど時計まわりに見える人が右脳型で反時計回り左脳型だそうな。記事はオーストラリアのメジャー新聞のものだが科学的根拠は不明なんで遊びと思ってね。

投稿者: 三ツ松新 日時: 14:20 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2007年06月11日

伸びない人の条件

最近いろいろなところで人に教える機会が多いけど伸びないタイプの人って時々みる。一言でいうと自分の非をうまく認められない人ですね。
セスがコーチングを受ける側の問題をブログで指摘してるが共通していると思う。みなさんいくつあてはまります?

非コーチング症候群
 ・コーチの経歴を非難する。
 ・自分だけ指摘を受けるのはフェアじゃないという。
 ・怒りながら以前のコーチングの間違いを指摘する。
 ・コーチングなしで成功した人の話を例に持ち出す。
 ・単にコーチが示した方向だからという理由で違うことをしようとする。

この場合のコーチングは何も上司だけではなく、もちろん友人、両親、子供、後輩、恋人、配偶者なども含む。多分どれもあてはまらないと思った人が一番危険やね。

因みにすべて思い当たる節がある私はまだまだ物心ついたところです(笑)。

投稿者: 三ツ松新 日時: 13:14 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年05月14日

アメリカの大卒人気ランキング1位もグーグル

先日のエントリーでMBA学生の人気ランキングがグーグルだったことを書いたがビジネスウィークでアメリカの学卒の人気1位もグーグル。飛ぶ鳥落とす勢いやね。

投稿者: 三ツ松新 日時: 09:18 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月16日

アメリカの受験戦争も実はすごい

アメリカの大学は入りやすいけど出にくいという話は以前よくありましたね。最近はゆとり教育と人口減少のためか日本でも随分状況は変わってきているのであまりないのかも知れませんが。

ただ昔から、アメリカの大学も本当に入りやすいかと言えば必ずしもそうではない。難関校ともなれば高校での成績やSATでも高得点はある意味当たり前で、エッセーや口頭試問の戦いになる。そこでは勉強以外でどのようなことをしたかが問われるのでこれは違った意味で非常に難しい。しかし最近ではさらにエスカレートしつつあるようだ。

Wall Street Journalの記事に最近の高校生の夏休みの行動が書かれている。

例えばハープのCDをつくって自分で売ったものを寄付金にまわすのはかわいいもの。宇宙衛星を打ち上げるつわものまでいる。あるいは50万円から100万円近い金額をかけて、インドに英語を教えに行ったり、ベトナムに家を作りに行ったり。もちろん行って終わりではなくきっちりとプレゼンテーションできるレベルまで仕上げていくようだ。

本来の意図は非常によく人格形成上も好ましいでしょう。ただここまで来るとこんな若いうちに売名行為教えてどうすんの?とも思う。ただおそろしく政治力に長けた大人がでてくるであろうし、好き嫌いには関係なくグローバルエコノミーでは彼ら、彼女らと同じ土俵に立つことになる。

投稿者: 三ツ松新 日時: 09:57 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年02月28日

正しい結果、間違った解決

ボブは雑貨を売っているとあるチェーン店のエリアマネージャーをしている。ここのところ水を入れかえなくていい花瓶がどのお店でもすごくよく売れている。ところがある月からひとつのお店でその花瓶がまったく売れなくなってしまった。そこでボブはそこのストアマネージャーに理由を聞いてみた。

ボブ:
「なあ、ジェームスくん、今月な、あの例のめちゃちゃよう売れとる花瓶、なんで急に売れんようになったんや?」

ジェームス:
「ああ、あの花瓶でっか?そりゃあんさんあたりまえでっしゃろ。すぐ在庫切れになるんで在庫すんのやめましてん。これで在庫切れもうさせまへん、ちゅうかできまへん、でんな(笑)」

ボブ:
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

この物語はすべてフィクションです。あたりまえか(笑)

参考:
ビジネス上のアメリカンジョークです。
http://www.longtail.com/the_long_tail/2007/02/who_needs_a_cio.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 08:42 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年02月26日

伝染るんです、ネズミの共感

カナダのマギル大学でネズミを使った興味深い実験に関する記事があった。

2匹のねずみを同じ檻に入れて片方だけにお酢をのませると弱い腹痛のために這い回る。
この時しばらく同じ檻に住んでいた「檻友達」はお酢を飲んでいなくても同じように這い回る行動をとる。
ところが同じ檻に住んだことがないあかの他人(というか他ネズミ)だととくに動きに変化はない。
これは共感行動だけど思った以上に共感は脳の原始的な部分で起きているようだ。

席がとなりになった瞬間あまり気にならなかった異性を好きになってしまうのもこの現象に近いんだろうね。

投稿者: 三ツ松新 日時: 19:23 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年02月22日

愛してると左の耳にささやこう

体の左側は右脳とつながり右側が左脳とつながっているのはよく言われる話ですね。だけど最近感情的な言葉を左耳にささやくほうが記憶に残りやすいという報告がテキサス州立のサム・ヒューストン大学からされている。

実験では100人の男女に、中立的と感情的な言葉を混ぜてぞれぞれ左耳と右耳だけに聞こえるようにしました。結果はおもしろいことに感情的な言葉を記憶している率は左で70%右で58%とでた。

因みに左に目を向ける時は、右脳(創造、感情脳)が刺激され、右に目を向ける時は左脳(分析、管理脳)が刺激されるという報告もある。
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みなさん、異性の左側に立ち愛を語りましょう(笑)。

投稿者: 三ツ松新 日時: 11:39 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年02月13日

スティーブ・ジョブズのスピーチ;スタンフォード大学卒業式

 アップルとピクサーの創業者スティーブ・ジョブスは本当に好き嫌いが分かれるひとだと思う。ただ彼の偉業は誰もが認めるところだろう。ちょっと前になるが(2005年)そんな彼がスタンフォード大学の卒業式でスピーチをしているが心に残る非常に感動的な話。正直久しぶりに泣けるスピーチでした。

 以下簡単に彼のスピーチをまとめてみました。意訳ですが本意が伝わればうれしいです。

 本日世界中でも最も良い大学で話をできることを光栄に思う。だけどぼくは何を隠そう大学をでていない。そして今日が最も大学の卒業に「近づけた」日だけど、そんな中で三つの話をしたいと思う。大げさな話じゃなくてたった三つ。

・まずは点のつながり(connecting dots)について。
 ぼくは大学を6ヶ月でやめたけどそれは生まれる前に始まった。当時学問に励んでいた未婚の(生物学上の)母は僕が大学の高等教育を受けた両親に育てられるべきだと信じていた。ぼくは生まれたすぐに養子として今の両親の元にいったが大学に行かせることが条件だったそうだ。17年後、ぼくが行ったリード大学はスタンフォードなみの授業料で当時の両親の全財産を使い果たすほど高かった。

 人生で何をしたいかもわからないぼくは6ヶ月もすると大学にいる意味が見いだせなくてやめてしまった。これは後に非常にいい選択になった。単位取得が関係なくなったのをいいことにその後しばらく大学の講義にはでていたが興味のある講義だけにでることができた。もちろんいいことばかりではなく友達の寮の床で寝泊りしてコカコーラのビンを売って大学には通い続けた。だけど当時自分の直感と好奇心のためにやったことが後々お金に換えがたい経験になっていく。

 当時リード大学の構内のいろんなところにカリグラフィーが使われていて本当に美しかった。リード大学はカリグラフィーに関してはアメリカでもトップクラスの講義があり、すっかり見せられた僕はそこで芸術としての文字ついて学んだ。

 10年後このことがマッキントッシュの開発の時に一気に花開いた。もしぼくがあそこで大学をドロップアウトしてカリグラフィーをやっていなければマッキントッシュにはあの美しい文字列はなかった。

 もっと言えばウィンドーズは所詮マックをコピーしただけなのだからパソコン自体に今のような文字の選択や概念はなかったろう。

 今現在未来を見て点はつなげない。過去を見たときに初めてつながりが見える。だけど将来必ず点がつながること信じてやって欲しい。そして強い信念を持って欲しい。どんな信念でも構わない、持つことが重要。仮にレールからはずれることになってもその信念が自分を救うことになり他との違いがでる。

・二つ目の話は愛と喪失(love and loss)について
 ぼくは30歳にしてアップルを創ったがクビになった。自分の創った会社から解雇されるのは不思議に思うかもしれない。それはそもそもはアップルの成長のために雇った人と意見が食い違い始め、ビジネスに支障をきたしたがそのときにボードは僕ではなく彼を選んだ。

 ぼくは30にして成人してからの人生のすべてを失った、そして何をしていいかわからなかった。自分が起業家の面汚しと感じてディビッド・パッカード(HPの創業者)とボブ・ノイス(インテル創業者)に謝りにいった。ぼくは失敗した。それも大きく公に失敗した。一時期はシリコンバレーから逃げ出そうかとも思った。

でも・・・
やっていることを愛している、もう一度やろうと思った。今にして思えばアップルをクビになったのはすばらしいことだった。軽くなった、愛してることを再びすることできた。そして生涯、愛することとなるすばらしい女性と会うこととなった。事業ではネクストとピクサーをつくりどちらも大成功した。それからなんとアップルはネクストを買収することになりぼくはアップルに戻ることになった。そしてプライベートではすばらしい家族をもつことに・・・
 
 アップルをクビになったのは本当に苦い薬だった。でも患者はそれを必要としていたように思う。

 人生は時々レンガで頭を強くたたいてくることがある。だけどぼくを動かし続けたのはやっていることを愛する力だ。絶対に愛することを見つけないとだめだ。それは仕事でも人生でも同じことが言える。探し続けろ、妥協はするな。

 自分が偉大だと信じれることをやれ、
 愛してると思うこと、人を探せ。
 見つけたときにそれは自然とわかる。

 探し続けろ、妥協はするな。

・三つ目は死(death)について
 ぼくは17のときある言葉と出会った。それは
「明日死ぬと思って今日を生きればそのうち自分が正しい日がやってくる。」
と言うものだ。

 それ以来毎日のように自分に聞く。
「もし明日死ぬ運命なら今日このことをするだろうか?」
もし数日ノーが続くようなら何かを変えないといけない。
この言葉はぼくにとって最高のツール。死を意識したとに何も失うものがないことに気がつく

 ぼくは一年前に余命六ヶ月の癌を告知され、死の準備をするように言われた。その後精密な細胞検査を受けたけど顕微鏡を覗いていた担当医は泣いていたことをワイフから聞いた。検査の結果極めて稀なタイプの癌細胞で手術で摘出可能だとわかり、おかけで今日ぼくは元気だ。

 これを経験したから以前よりもっと確かに言える。死にたい人なんていない。天国へいくような人でも死に急ぐことはしないが「死」は全員が共有する目的地だ。

 だけど「死」は人生の中で最もすばらしい発明だ。「死」は変革者であり、「新しき」のために「古き」を一掃する。

 そして今日君たちが「新しき」人だ。

 だけどいつか君たちも古くなる日がやってきて一掃されることになる。こんな言い方をして悪いがこれはさけようのない事実。そう君たちに残された時間はあまりにも少ない。

 だから他人の人生を生きるのに時間を無駄にしてはいけない。
 教義に囚われるな、それは他人の思考の結果を生きることだ。
 他人のノイズに惑わされ自分の内なる声を引き抜くな。

 そして最も大事なのは自分の心と直感に従う勇気を持て。どういうわけか本当になりたい自分を自分はすでに知っているのだから。他のすべてのことは二の次だ。

 私が若い頃"whole earth catalogue"という雑誌のような媒体があった。1960年代後半だったのではさみとのりとポラロイドカメラがまだ使われていたが紙媒体のグーグルとも呼べるようなものだった。それも1970年代中盤には無くなることになるが、最終号の裏表紙に書かれていた言葉が今でも非常に心に残っている。

 「ハングリーであれ、愚かであれ 」(stay hungry stay foolish)

 ぼくはいつも自分がそうありたいと願っている。

 そして今日君たちにもそうなることを願いたい。

 「ハングリーであれ、愚かであれ」 (stay hungry stay foolish)

みなさん本当にありがとう


追記;
英語ですがスタンフォード大学のウエブサイトに彼のスピーチの全文があります。
サワキさん教えてくれてありがとう!

投稿者: 三ツ松新 日時: 11:07 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2006年12月18日

大阪大学青い銀杏の会学生イベント

先週の土曜日に大阪大学のイベントでしゃべってきました。

10年後のキャリア大企業vsベンチャーというタイトルで一応ベンチャーの代表として行きがかりで話すことになってしまった。私自身は大企業でもベンチャーでもないある種変わったキャリアなのですが、まあこんな生き方もあるんだという参考になればいいかなと思います。非常に楽しいキャリアですが良い子はマネしないでね(笑)。

私が就職した頃と比べて今の学生は選択肢が非常に多いので悩みも多いことでしょう。ただ選択肢が多いということはそれだけいい選択がしやすいともいえるのでうらやましいことですね。

私自身普段ほとんど接触のない若い学生さんとお話ができて何かとおもしろかったです。
ところでジブリフリークの阪大の川上さんが一番印象に残ったセリフはラピュタの中で

見ろ!人がゴミのようだ!

それと「目が!目が!」だそうです。
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私の場合は「飛べない豚はだたの豚だ」という言葉にめちゃくちゃロマンを感じたのですがこれは世代間ギャップでしょうか?(笑)。

あと最後に

山根君 ファシリテーションいい腕してますよ
深田君 部屋ちらかしてごめんなさい
小田君 日本の農業ばんざーい!

投稿者: 三ツ松新 日時: 10:11 | | コメント (8) | トラックバック (0)

2006年09月21日

マルチタスクを同時にこなす若人達

最近の若い人が、同時にいろいろなことをこなせると言う話しを時々聞く。自分の子供を見ていても、そう感じることが多い。

ロスアンゼルスのLAタイムズが調査したが、17歳のナサニエル君はパソコンで5つか6つのプログラムを同時に立ち上げて、プロジェクトをすすめ、レポートを書き、YouTubeを見て、メールのチェックをしながら映画を見るらしい。この間に友達と電話をする猛者もいる。ただここに出てくるナサニエル君は例外ではない。

アメリカの中高生の男の子で62%女の子で71%もの人がひとつ以上のタスクを同時にこなす。
さらに驚くのはこれだけのことをやっていても、エンターティンメントの選択肢の数に関してまだ飽きると答えた人は男の子69%、女の子75%にもなる。

賛否両論あるんやろうなあと思うけど、いい意味でほんまに怖い子らや。ぼくもプロジェクト管理やマルチタスクをこなすことに苦手意識はないけど、この子らが一線級で活躍する頃には完全に旧タイプやな。

投稿者: 三ツ松新 日時: 12:37 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年09月13日

先進的なMBAスクールは砂遊びをする??

過去のエントリーでもMBA教育の進化について触れてきたけどまた新たな動きが・・・・
MBAもイノベーションが必要;29%は多い少ない?
次世代のMBA(ビジネス)はMDA(デザイン)になる?

Wall Street Journal で、おもしろい記事を見つけたが、最近欧米のトップスクールで、砂場でお城をつくったり、ルーブル美術館にいったり、料理を作ってみたりいろいろ変わったカリキュラムがあるようだ。

物事を創造する右脳的なプロセスの理解をすすめることと、場合によってはオペレーションマネージメントやリーダーシップの学習にもなるという。

一見ばかばかしいようだが、何も理屈的におかしいことをやっているわけではない。

例えば、東北大学医学部川島隆太先生と大阪ガスが行った実験でも料理の脳に対する好影響は報告されている。

芸術は右脳活動と強い関連があるのは1970年代にノーベル賞をとったシュペリーの報告からも知られている。

後、かなり以前に牧師が書いたこんな本を読んだ記憶があるが、なかなか真理をついていることが多いと思う。

人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ

もちろんいまさら砂場でバケツやスコップの取り合いをしてる場合じゃないでしょという意見には賛同できる。ただそこがまさしく戦術思考で徹底的な秀才教育を受けてきた日本人が陥りがちな落とし穴だ。

ここで砂場なのか、美術館なのか、はたまた料理教室なのかはどうでもいいことである。少なくともビジネス教育の頂点と言われたMBA教育を受けてきた多くの人間が過度な分析計画の結果、会社をだめにしてしまった経緯がある。その問題点として右脳教育の欠如が仮説としてあり、それらはまったく科学的に体系だっていない領域であるので、
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いやあ、さすが我が師匠・・・・それでこそ天才(笑)。

ただ誤解のないように言えばいろいろな試行錯誤を左脳がバックアップして始めて未来につながるが・・・

投稿者: 三ツ松新 日時: 14:44 | | コメント (7) | トラックバック (0)

2006年07月28日

未来学者アルビン・トフラー、日本を語るその2

さてトフラー氏のインタビュー記事に関する昨日のエントリーの続き。
本文中に、日本の教育システムを

アメリカ以上に、「従順で、機械的に働く労働者」を生産するシステムとなっている」
教師がもっと自由に教えられ、自ら「考える」人材が育つようにシステムを抜本的に改革しなければならない

とあるが、非常に頭の痛いコメントだ。これだけ聞いているとなんだか日本人は頭を使わないような印象を受けるが決してそうではありませんよね。もちろんトフラー氏もそのようなつもりで言っていないは重々承知しているが。

小学校の教育をアメリカで受け、ビジネスマンの基礎を外資系で叩き込まれ、現在はコテコテの日本の現場でコンサルティングと教育に携わる人間としては頭を使わない外国人も山のように見てきた。決して日本人が使わないわけではない。ただ自己主張をあまりしないためにそう見えるだけだ。

そのために自己主張を訓練して外国人とディベイトすればよいかと言えばそれは短絡的で、特殊な人を除いてあまりお勧めしない。言語のハンディーも、もちろんのことだがそれ以上に価値観や論理体系がそもそも違いすぎる。誤解を受けない程度の話術はもちろん必要だが。

ただトフラー氏が言うようにさらに自らで考える人材の育成はこれからの知識社会では必要だ。資源のない日本は加工貿易立国として長らく成長してきたが、それが逆に成功の復讐となり昨日言っていた過度な製造業重視の姿勢を強化する。これからはそうではなく新たな資源、「人財」を育てていかなればこの国の未来は暗い。

ではどうすれば良いかといえば日本人の観点から見て二つ考えるところがある。

まず一つ目、科学的に失敗から学ぶ姿勢を身に付けることだ。
いろいろな所で教えていると、とにかく正解を知りたがる人が多い。とかくビジネスにおいては、正解がある問題点なんて本来ほとんどなく、現場ですりあわせながら発見していくものだ。ただしこのすり合わせをいきばたりあったりでやってはいけない。

最も海外のMBAで教える先生から話しを聞いているところでは答えを知りたがる人が多くなったと言うのは世界的に見られる傾向のようだ。だからこそ元々経験則から学び、ボトムアップ型の論理構築をする習慣がある日本人では根付きやすく差もつけやすい。暗黙知を形式化していく不断の努力が大事だ。

二つ目は過去の良いものを活かしていく姿勢だ。
故ドラッカー氏がNHK特集の「明治」で言っていた事柄と共通するが、彼は日本が明治以降目覚しい発展を遂げたのは旧来の価値観を否定せず、ある物を活かして行ったことが大きかったという。因みに彼が絶賛していた渋沢栄一の「論語」の読み方が復刻版ででてますが、なかなかいいですよ。

学生の頃だが世界の主要国で革命を起こしたことない国は日本ぐらいだというのを聞いたことがある。明治もだから革命ではなく維新と呼ばれる。その頃はなんだか腑抜けな国民だなあと劣等感を感じた記憶があるがそれはまったくの見当違いだと今にすれば思う。革命はなんだか破壊的な臭いがする。
自然を愛し、2000年以上国を維持してきた農耕民族が維(これ)を新たにする。すばらしいことじゃないか。

今のはやりの言葉で言えばサステイナビリティーと言うのだろうが、もう何千年もやってきましたよといいたいところだ。ところが一つ目の科学的に失敗から学ぶ方法が確立されていないため、二つめの過去の良い部分を活かすことが、学問体系にならず、現状ではせっかくのノウハウも輸出できない。

加工貿易立国としてこれからは「知識商社」が必要な時代だ。今は知識の輸入業者ばかり(自戒を込めて)だがこれからの挑戦だと思う。思えばそのようなことを漠然と考えて独立したが、本当にまだ山の麓にも来ていないような気がする。

なんだか評論家みたいになってしまったが、さあ、仕事仕事(笑)。

投稿者: 三ツ松新 日時: 11:46 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年07月27日

未来学者アルビン・トフラー、日本を語る

先日日経ビジネスオンラインでこんな記事があった。因みに今日のリンク先は日本語です。

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未来学者ってどんな学者やねんと思わずツッコミたくなるがトフラーは第三の波を書いためちゃ有名なおじさんだ。彼の先見の明には恐れ入るが、日本が競争力を取り戻すための問題点をあげている。一つ目は過度な製造業重視、もう一つは自ら考える人材を育てる教育。

この2点は現場でコンサルティングと教育をしている人間としては思い当たる節が多い。
まず過度な製造業重視は懐古主義や、あまり良い方向ではない王権復活のような印象を受けるのは私だけだろうか。

例えば最近日本の鉄鋼業界が好調だという記事を良く見かけるが、これを見て「そうだやはり日本は実直に製造業だ」と思ってはいけない。もちろん世界的な需要があがることにより会社の売上があがること自体は関係者にとって喜ばしいことだ。ただこれは古典的な枠組みの中で起きている物で、日本の未来を背負っていく現象でも、兆候でもない。

昨日のエントリーの中でものづくりへの回帰に関して少し触れたが、誤解のないように言うと、ここで言うものづくりは昔にそのまま戻って、同じ物を作るという意味ではない。本当の日本のお家芸である「ものづくり」は昔の和菓子の入れ物やからくり人形、傘などなどに代表される機能美が根幹にあり、そこには他にはマネできない高いクリエィティビティーとイノベーション能力がある。

逆にアメリカの「ものづくり」を代表するような物はクライスラー社のハリケーンだろうか。ジープブランド究極の車として作ったのはなんと排気量1万1400cc。前が5700ccで後ろが5700ccで独立駆動するようだ。
なんだか頭わりーー(笑)。でも実にアメリカらしい「原点回帰」だ。さらに後ろで手綱を引いているにはベンツの人でこれがまたいい意味でアメリカらしい(笑)。

2点目の教育についてだが長くなりそうなので明日のエントリーで書きます。

投稿者: 三ツ松新 日時: 10:42 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年07月25日

次世代のMBA(ビジネス)はMDA(デザイン)になる?

最近アメリカではどうも物づくりへの回帰がすすんでいるように感じる。
行き過ぎた合理化と経営管理からの反省からだろう。このエリアに関するエントリーは今後増えていくような気配だが今日は教育の側面から。

ビジネスウィークの記事の中でスタンフォードが新しくデザインスクールを設置したとある。
デザイン思想と戦略をデザイン志望の生徒だけではなく、ビジネスやエンジニア専攻の人にも教えるという。

もうひとつ、デザイン教育で定評のあるイリノイ大学でも、卒業生の半分以上はすでにマッキンゼーなどの戦略コンサルティングやマーケティングまたはリサーチ関連の企業に就職しているそうだ。

既存のMBAコースでも問題解決能力というより問題発見能力に傾斜したプログラムを充実させている。
元々コンピューターサイエンスやロボット工学で定評のあるカーネギーメロン大学やUCバークレー、ウォートンなども取り組んでいるようだ。(これに関連するエントリーは以前にも書いたがよろしければご参照ください。)

ヨーロッパのINSEADは米国カリフォルニア州にある、自動車デザインで世界屈指のArt Center College of Designと提携プログラムも始めている。

さてここで言う「デザイン」の翻訳は本当に難しいと思う。物の形や色目からくる狭義のデザインではないので、念のため。

それで思い出したが、まだP&Gで新入社員だったころアメリカ軍隊にいて、その後UCバークレー校を卒業した上長で、シティーハンターに出てくる海坊主にそっくりな人がいた。彼は後に社内で定性調査のスペシャリストとして社内で最高位の役職になったが、当時はとんでもなくかわいがっていただいて、よく訓練もしてもらった。
細かい人間の心理まで気をくばることに優れていたが、本当に人は見た目で判断できないと思った(笑)。そんな彼に昔こんなことを言われた。
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エンジニアは問題先にありきで分析から入るが、建築家は無から始めなければいけない。
Design の翻訳はむしろ設計のほうが近いのかも知れない。
今から思えばまさしくイノベーションの根源だが、何かと印象に深い言葉で今も残っている。

投稿者: 三ツ松新 日時: 10:31 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006年07月11日

トムピーターズ;「社内政治は絶対マスターしろ!!」

どんな会社でも社内政治はあり、それに関して不満を言う人がいる。
社内の議論に対して、不毛、ムダ、ばか、アホといろいろな悪口を若手社員から聞くことは職業柄少なからずあり、その気持ちは痛いほどに良くわかる。

トムピーターズはブログで社内政治は絶対にマスターしなければいけないツールだと強く言っているが私も同感。彼はそれどころか社内政治をむしろ楽しむぐらいでないといけないという。一般的に社内政治をなくすには全てを超越した大儀があればいいというが彼曰くそれは夢物語だと。

楽しむまでは難しいとしても、人間が人間である限り社内政治はなくならない。3人寄れば政治は生まれる。政治をマスターできなれば何事においても成功は難しい。ずるい、汚い、子供じみていると言っても何も始まらない。

そういえば先日ハーバードビジネススクールの論文で「社内政治」をテーマに研究を始めた教授の論文を読んだ。まだこれからの分野だと思うし、どこまで実学になるのかは未知数だけどしばらく注目したいと思う。おもしろい内容があればまたエントリー書きます。

投稿者: 三ツ松新 日時: 07:21 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年06月19日

MBAもイノベーションが必要;29%は多い少ない?

今日あかちゃんの城社長の秋吉氏のブログを読んでいて、関連するビジネスウィークの記事を思い出したのでそれについて少し解説をしたいと思います。

米国のMBAでイノベーション・クリエィティビティー関係の講義があるのは29%。ビジネスウィークの記事ではこれを少ないとしているが、日本でのMBA教育に関わる人間としては正直多いと感じた。
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これまで欧米も含めて学校教育、特に高等教育では左脳思考が重視されてきた。当然ながら左脳教育のほうが(現状では)測定がしやすく、成績もつけやすい。ただまわりを見てもわかるように優秀なビジネスマンは必ずしも高学歴とは限らない。

MBA教育も進化を続けてきたが、これまでは同様に左脳重視であったことは否めない。誤解のないように言いますが、何も左脳思考が悪いと言っているわけでない。当然ながら企業が成長するためには管理が必要で、そのための教育はこれまでも、これからも変わらず重要だ。ただ当然MBAプログラムも時代の進化に応じて適応していかなければいけない。

最近の動向を見ていると特に進化しないといけない領域は二つ。ひとつは企業不正に対処する能力、もうひとつは創造的問題解決能力にどのように対処していくのかということ。これはどちらも右脳の問題で、大脳生理学の観点から言えば前者は右脳の辺縁系、後者が右脳の大脳新皮質に関連する部分だ。
これまで教育の領域ではどちらかと言えば小学校あたりで置き去りにしてきたような部分だ。

スタンフォードはシリコンバレーが近いからか、単に西海岸にあるか(にわとりと卵論になりますが)以前からクリエィティビティー関連の講義はあった。ただ最近は保守的なエールの、それも経済学部でもイノベーションとクリエィティビティーの講義があるようだ。

もちろんイノベーションをMBAの中核にすえることに反対する人もいる。例えばノートルダム大学のディーン(Dean;学部長)であるコンロン氏はむしろリーダーシップと企業倫理に力を入れるべきと言っている。

繰り返しになるがどちらも右脳の問題である。私自身の考えを言えば右脳の創造能力の部分だけを切り出して訓練することは無理があると思う。基本的には倫理と創造能力をつかさどる脳の部分は持ちつもたれつつの関係なのでどちらも対処しなければいけない。ただMBAだけがその重荷をすべて背負うこともあるまい。個人的にはコンサルティング以外にMBAに留まらない教育分野で仕事をしているのはそのためで、少しでも日本のビジネス界に貢献できればうれしいと思う。

ひとりごと;
ほんま最近のエントリーが固いんでちょっと反省してんねん。イノベーションコンサルタントとしてはもう少しアホっぽいものにしたいと思ってんねんけどなー。ちゅうかそれが最初の野望やったけど、最近はやたら忙しい。まじめなエントリーのほうが簡単やしなー。アホっぽくて、笑えるけどめちゃためになるブログめざしまーす。まあギャグがおもんないときは遠慮なくツッコミしてくれ(笑)。
あと一発芸的なコメント大歓迎。あなたの愛がこのブログを続ける原動力(笑)。

 

投稿者: 三ツ松新 日時: 10:11 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年06月07日

なぜ七福神は7人なのか?

人間が処理できる情報の限界は7(プラス、マイナス2)である。
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この結論は1956年の論文で紹介されていますが、今でも経営関連の書籍で引用されます。ウエブ上でその原文を見つけたのでリンクを張っておきます。

記憶力のいい悪いやその分野での精通度合いにより、5から9までとばらつきがあるようですが平均的には7です。では例えば数字を例のとった場合に7桁以上の数字は覚えられないかというと、そうではありません。

人間の脳はパソコンで使うディレクトリー構造のようにある程度情報をグルーピングする能力を持っています。
例えば電話番号であれば国番号、市外局番、市内局番、個別番号のようにわけていけば10桁以上の番号は難なく覚えられますが、この場合はすでに4つの情報群としてみています。

ですから神様に詳しい人(って誰やねんそれ?)は七福神自体を1つの情報量として処理できます。もちろん個別に見た場合(ディレクトリを開けた場合)は情報群としては7ですが。さらに神様自体の特徴、例えば鯛をもっているとか、詳細に分かれていきます。これにより情報のピラミッド構造ができますが体系的に物を知っているというのはこのピラミッドの完成度合いが高いことを示します。

因みに私の場合は七福神を言おうと思うと5人目からだんだん怪しくなってきて、7人目がでてくるのに時間がかかります。七不思議とか七つの海とか他にも七でくくられたものが多いですが思い出そうとする最後が出ない・・・・そんな経験みなさんもありませんか?

じゃーこれがビジネスとどう関係あるのか?というとまさしくこのグルーピング、さらにそこにラベリング(ディレクトリーのタイトルのようなもの)をつけてしまう能力がクリエィティビティーやイノベーションを阻害することがあります。

例えば「市外局番と東京都」というと何を連想しますか?
03と考える人が多いと思います。03=東京の市外局番と考えるのは悪いことではありません。
我々がグルーピングやラベリングする能力がなければ今のような進化をとげていませんし、毎日の生活が成り立たないでしょう。

だけどこの○○=●●という決め付けにより発想の転換が難しくなります。
まさしく人間の持つ性がイノベーションのジレンマとも言えます。
もちろんこれを故意にはずす方法はたくさんありますが、追々紹介したいと思います。

 

投稿者: 三ツ松新 日時: 10:36 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年04月10日

トム・ピーターズと教育

ドラッカーなき後はやはりこの人かな。
それはさておきトムピーターズのブログから。

地元の学校で算数の成績が格段に伸びたらしい。
そこの校長が地元の新聞に「これはひとえに先生と事務局の努力の賜物」と話をしていたそうだ。

生徒たちは????

トム自身もこれは重箱のすみをつついてるのか?(嫁にはそのようにいわれているようだけど)。と自問しているけど。ぼくもこういうの思わず気になりますね。


投稿者: 三ツ松新 日時: 11:59 | | コメント (0) | トラックバック (0)