三ツ松新'sブログ

イノベーションコンサルタントのデジタルクリップ

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2010年09月30日

バカとグーグル脳は紙一重

検索エンジン使うとバカになると言うおじさんに会うと、写真撮影の度に命が減ると言うおじいさんの笑い話を思い出すのは俺だけか?でも笑いごとではない。もちろん自分も含めてだが人間バカにならんためにはめちゃくちゃがんばらなあかん。

注;関東圏の人はバカをアホと読み替えてください。

UCLAのGary Small博士の調査が実に興味深い。下の写真の左側が文字を読んでいる時、右側がインターネットを使っているとき、そして上はネットに精通していない人、下が精通している人の脳の活動領域。

ネットに精通していない人(上)は文字を読むときもネットで検索している時もあまり脳の使い方に違いがない。
一方精通している人(下)は本を読むときにはあまり違いはないが、ネットを使うときの脳は明らかに違う。前頭葉、思考と意思決定する部分が特に活発だ。

gglbrain.JPG

文字通り、バカもはさみも使いよう。どんなに高尚な共通善のために作られた技術でもバカが使えばとんでもないことになる。新しい技術には必ず功罪があり、ノーベルの研究はダイナマイトにいかされ、アインシュタインは原爆に。そして日本で今、最もノーベル賞に近いだろう山中先生のips細胞はもはや神の領域である。天使にも悪魔にもなりうるすごい技術だがそれをどう使うかは人間の手にゆだねられている。

茂木健一郎さんがこないだテレビで思い出すのをあきらめてすぐに検索エンジンに頼るのはいけないと言っていた。記憶領域から情報を引っ張りだす神経が弱るだろうからそりゃあそうやと思う。例えばオーストラリアの首都はどこだっけ?みたいな明快の答えが一つしかないもんにいつも使ってれば脳はナマクラになるやろう。

でもだからと言って検索エンジンとかインターネットがバカにするわけではない(これは拡大解釈で彼はそうは言ってない)。興味のある対象についてより深く知りたいと思えばこれに勝る技術はないだろう。辞書、事典などと比較すると周辺情報に弱いという議論も時々聞くが、そう言う人はリンクを十分に活かし、段階的に深層まで検索しきれているのだろうかと疑問に思う。ネットに精通していない脳の人が言ってもあまり説得力がない。いや本人にとっては説得力が有り過ぎるのが問題だろう。

ところで以前なぜ馬鹿になるかと言う論文を読んだが、思わず苦笑してしまった。結論としてはバカと気付かないからバカになる。簡単に言えばまわりの空気が読めないどころか相対的な自分の位置すら見えないからバカになるそうだ。ハーバードやケンブリッジ卒であろうが、小学校卒であろうが、自分の位置が分からなくなった瞬間バカになるわけだ。エンロンの経営陣をバカと言っても異論を挟む人は少ないだろうが、破たんした時のCEOのスキリングはハーバードビジネススクール卒でその後マッキンゼーにいた超エリート(この言い方自体なんかバカっぽいがw)だ。
こんな人でも権力を持ち自分の立つ位置が分からなくなるとバカになるんだから自戒も込めてこれは本当に気をつけないといけない。

そう言えばぼくが子どもの頃はテレビでバカになるとか、ゲームでバカになるとか、白米食うとバカになるとか(これ言ったの担任の先生w)。どんどん世の中バカになるようだが、最近の若者はバカというのは3000年ぐらい言い続けられているそうなので若い諸君、あまり気にしないように。ここ数十年間IQテストの平均を同じぐらいにするために問題を難しくしている。やはり世の中は進化して賢くなってるわけですな。学力低下はむしろ相対的なもんで絶対的なもんじゃない。アメリカはここ50年でIQが15ぐらいあがっている。平均の人が100で70以下が軽い知的障害とされているのでそのぐらいすごい飛躍かがわかるだろう。

さて話を戻すがこの調査の結果をみるとようはインターネットに精通していない人は自分が検索エンジンを十分使いこなせていないことになる。しかし本人はそれに気付いていない。そしてその結果ノスタルジーにひたりながら検索エンジンに否定的な立場をとり始めると・・・・・

参考資料;

http://journals.lww.com/ajgponline/Abstract/2009/02000/Your_Brain_on_Google__Patterns_of_Cerebral.4.aspx

投稿者: 三ツ松新 日時: 13:28 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年09月29日

我思う、故に我あり

とは科学と哲学がまだたもとを分かつ前の偉人デカルトの言葉だ。400年近く前の彼は数学者で自然哲学者。今でも博士号を文理系関係なくPhD(Docter of Philosphy)と呼ぶのはその名残やね。

ただ最近のようにこのあたりが別れる弊害もある。
「宗教と芸術と科学は同じ木の枝である」とアンシュタインは言って久しいが昨今のソーカル事件に代表されるよう様な似非自然科学哲学者はそれこそ早く「自然淘汰」されてほしいと思うのはおれだけか?
もちろん倫理や世界観を持たない科学者も同じぐらい危険だが。

科学は、少し乱暴ではあるけど、現象を理解する基礎科学とそれをどのように有効利用していくかという応用科学の二つにわけれる。例えば卵の形がなぜ強いのか解明ができれば、頑丈な構造物に応用できる。そして基礎的な科学では現象が先にあり、その理解は後から起きる。

そうそう、経営学の研究結果を見てそんなん当たり前じゃんとかいう人おるよね。例えば動機理論なんかで人は叱られ続けるとやる気を無くす的な論文の結論を見るとそう思いたい気持ちも分からなくもない。
だが何が本当で何が当たり前か解明するのは難しい。民間療法のように長いこと残っている宗教や哲学は科学的にも正しいことは多いとは思うがすべてそうとは限らない。
だからこの作業を無駄と言ってプラグマティックな自分にひたってはいかんやろう。現象解明はそんなもんなんであせったらいかん。

これまで心と科学の枝のに関する理解は遠のくばかりに見えていたが、最近の遺伝学、神経科学や脳科学の領域の発達は本当にすごく、少しづつまた近づくのじゃないかという明るい兆しも見える。

ぼくが学生時代遺伝子の配列決定はほぼ手動だったが今は機械化、自動化のおかげでものすごい勢いでヒトゲノムの解読も終わった。その配列の意味の解明にはまだまだ時間がかかると思うが、今度は脳内の神経接続地図の解明もすすんでいる。以下の写真のように脳の一部を何枚にもスライスにして神経のある部分を重ねていくとつながりが見える。

neuron1.JPG

もっともDNAの塩基対が30億ぐらいに対して脳の神経細胞は1000億個、そしてその間の接続は何千億や何兆というレベルになるので地図をつくるだけでも気の遠くなるような話。また先天的なDNAとは違い「我思う」ことにより接続は変わり「我あり」になるわけだがそれが地図をつくるのをさらに難しくする。
しかし解明ができれば神経と心の理解はすすみ自然哲学にも大いに貢献するだろう。

参考URL
http://www.ted.com/talks/sebastian_seung.html

投稿者: 三ツ松新 日時: 17:15 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年09月03日

抗生物質は2千年も前からあった

科学の進歩は哲学や歴史をも進歩させる。
世界で最初の抗生物質は1928年生まれのペニシリンと習ったが、どうも2千年も前にエジプトの南方にあるヌビアン人はすでに使っていた。そこで出土した骨からは大量のテトラサイクリンが検出されたが、子供も含む多くの人から検出され偶然の産物ではなさそうだ。麦ベースの発酵ドリンク、そう今でいうビールやで、に含まれていたようだ。エジプト人がビールを発明したと言われているが当時は健康飲料や薬に近かったのね。日本でも酒は百薬の長と昔から言うが。

過去の民族のテクノロジーは予想以上に進歩していたと気付かされることって多い。我々が思っている以上に過去から学べることは多そうやな。

参考
http://esciencecommons.blogspot.com/?

投稿者: 三ツ松新 日時: 19:26 | | コメント (0) | トラックバック (0)